偽善者と呼ばれる生き方のススメ(*'▽'*)離婚にまつわるアレコレ。
私は、離婚後も元ダンナさんと経営していた会社で働いた。だけど、離婚した私には風当たりが強くなり、私と関わる社員にまで迷惑がかかるようになった。それで、段々と居づらくなって会社を追われることになった。
そして、精神的にまいってしまい身体がガタガタ震えたり不眠になり心療内科まで行ったっけ。その後は、給料の未払い・保険の停止など様々な形で会社からの兵糧攻めを受け、私はしばらく極貧生活になり保険証さえ持っていなかった。ずっと会社で働くつもりでいたので、そんなに蓄えを持ってなくて、今、考えるとチョー行き当たりばったりのいい加減な離婚をした未熟者の私でした。
そんな状況の中、仕事と財産分与のことで1年半に及ぶ裁判。(私は財産分与は必要ないという条件で離婚したが、何より自分が手掛けていた仕事を返して欲しかった事と、親に、長く結婚生活をしてたのだからちゃんと財産分与しなさいと、こっぴどく叱られたことで裁判に至った。)
本当にしんどかった。途中何度も止めて逃げ出したい気持ちになった。でも私が裁判を続けたのにはもうひとつの理由があった。元ダンナさんに、何でも自分の思い通りにはならないし、公の場に出たら「正しいことは勝つ」ということを証明してみせたかったことだ。これまで、強い性格の元ダンナさんは、正しいことや真実をねじ伏せてでも自分の都合が良いようにことを運ぶことが得意で、様々な場面で「悪いこと」を「正しいこと」に変えて生きていた。
でも、私は今回ばかりは、そういうことが通用しないということを身を持って教えようと決めていた。それが、元ダンナさん自身にとって何より必要だし、生きやすくなると思ったからだ。
私は、法廷での戦いを「恨み・憎しみ」ではなく、私なりの「愛」で戦い抜いた。この愛はきっとラブラブの愛より深いと思う。厳しい愛を持って相手に向かうことは、本当に相手のことを思っていないと出来ない。ここには、相手にどんなに恨まれても嫌われてもいいという覚悟も必要だし、自分が苦しくなったり嫌な思いをすることを恐がっていたら到底、無理な話だ。
それに、元々、人と争うことが最も苦手な私は、その信念がなければ最後まで逃げ出さずにやり切ることは出来なかったと思う。
裁判の結果は、私が思っていた通りになった。だけど、私が裁判にかけた想いが元ダンナさんに伝わったかどうかは分からない。多分、伝わっていないだろう。でも、それでもいい。
「相手を変えたい」という思いではなく「自分がどう生きて、どう人と接して行くか」が大切だし、今は、伝わらなくてもいつか伝わるかも知れないという希望を持って生きていけるから。
こんな話を真顔ですると、陰で「偽善者」と言われることも多いし、真意をなかなか理解してもらえなくて、悲しい想いを何度もしてきた。心療内科まで行くような状況だったのに、相手にそんな愛を持てる訳ない、というのが一般論なんだろうけど私は、息子の父でもあり、色々あっても長年連れ添い助け合いながら、20年以上も一緒に暮らした家族を心底憎むことなんて出来ない。人間愛を持って、元ダンナさんに良くなってもらいたいと心底思っていた。
偽善者と言われても、自分の心の中は自分が誰よりも知っていて、その自分と一緒に色んなことを乗り越えて来たから…今は、偽善者と言われてもいいやと思えるようになった。
私は「最後に愛は勝つ」(←こういう歌あったよね♪)を信じ実践しながら、これからもその信念に従って生きていきたいと思ってる。今回は離婚にまつわる話だったけど、全ての人間関係についてコレを貫いていきたい。
まぁ、とにかく離婚した女性が一人で生きていくのは本当に大変。まだまだ、世の中は多数派が生きやすいように出来てるから。それでも、自分で選んだ人生…進む道が茨の道だとしても、闇ではなく光の方へ歩んでいこう!その歩みの一歩一歩が自分を強く賢くしてくれるから。
憎しみの剣は捨て去り
愛の剣を持って戦おう!!!
◆2013年12月3日の日記。
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