誰もみないけど、つぶやきたくなってつぶやくって健康法の1つかもしれない。
友人は大事だなと思った。
なんでもないことを話す、といのはストレスを流す役割をもっているんだなーと。
でも今は友人らしき人が周りにあまりいない。
でもnoteを友人にしようと思う。(noteというコンテンツをまるっと)
ほぼ一方通行だけどそれもまたわたしに合っているし、なんでもないことをつぶやきたくなるっていうのも自然で健全なことなんだなーと。
例えばツイッターで、誰もみないけど(みないからこそ)自分へ向けての記録としてつぶやいとこーっていうのは健康法のひとつかもしれないし、やりたくなるっていう心理はやっぱり必要なことだからなのかなと。溜めておかないで吐き出すっていう。
ほぼ引きこもりな感じのわたしなので、他の人のつぶやき(とか記事とか)をみると「へーそうなんだー」って思うんだけど、その「へーそうなんだー」が結構大事だったりする。
ドトール好きなわたしはアチコチでその写真をみかけたりする。と、行きたいなーとなる。コロナ抜きにしてもどこかで、行けない、贅沢、意味ない、となぞの否定が湧く。
いや、行こうと思えばいけるじゃないか。
無意識に自分に禁止してるものがあるんじゃないか。
あれっ。
晴れた日、行ってこよう。学校の下見もかねて。あと電車で移動してどのくらい体力もつのかとか検証しよう。
とかね。
人のなんとなしのアップしたつぶやきや写真でこんなに生きる気力が湧いてくる。ってすごいんじゃないかと。
うん。
なんか最初に言いたかったことからずれてしまったけどまあ、いいのよ。
おわり。