残火の下にて悪魔と踊る [ toconoma "Vermelho do sol" ]
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自分を取り巻く環境というのは、とても綿密に織られた布のように一部の隙もなく、梅雨の雨のように鬱陶しく肌にまとわりついてくるように感じる。
服を脱げないように、雲を払えないように、それからは逃げられないのだと錯覚してしまいそうになる。
けれども、そんなことはない。お前が望みさえすれば、お前はいくらでもそこで暴れてよいんだ。いつだって、やりたいようにやる余地は残されているんだ。
そう、この曲は僕に伝えてくれている気がする。
Vermelho do sol.
冒頭、陰鬱さを思わせる、軽やかながらも重苦しい音。
あたかも抗えない現実を現出させるかのようなこの音の中、人の鼓動を思わせるビートが静かに響きだす。
その脈動は、徐々に勢いを増す。静かな拍動はたちまちに全身に血を送る。
音に任せて身を投げうてば、もう心臓の音は感覚できない。
認識できるのは一個の生命としての自分、檻をものともしない自分、欲望するままに咆哮する自分。
Vermelho do sol . 太陽の赤。
確かに今や視界は赤。気のせいか、自分の隣で踊るは悪魔。
いずれ消えゆく火としても、沈み欠けゆく陽としても。
良い子で居ていい理由は、そこにはない。
思考の剝片を綴っています。 応援していただけると、剥がれ落ちるスピードが上がること請負いです。