薄暮のうちに、歩きゆく人ふたり [ hatao & nami "Punch in the Dark"]
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この記事は音楽と言葉を結びつけようとするものです。
テーマとしている音楽をまだお聴きでなければ、下記リンクよりぜひお聴きになってみてください。そして聴きながらでも本記事を読んでいただければ、嬉しいです。
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なんとなく笛の音のイメージというものを思い描いてみると、クラシックの中で用いられているような気品ある音か、民族音楽で奏でられるような軽快極まれる音を想像してしまう。
鮮やかな奢を施した上品な貴婦人か、訪れる人皆を受け入れる異国の祭りか。
そんなイメージを笛に対して持っていたので、この曲に出会ったときは大きな驚きがあった。
アイリッシュ・フルートの性質なのだろうか。小さな体の笛でありながら、ここで奏でられる音は心地よい低音だ。
今までの笛のイメージを底に敷くなら、このフルートの音は、この曲の音は、夏の夕暮れといえるだろうか。
陽の暑さ和らぎ、風の心地よさを改めて思い出すかのような、静かな清涼。
またこの音には、どことなく紳士性を感じる。
常に揺らがず安心を感じさせるこの音は、また同時に知性をもその内に湛え、それでいてその軽妙さはユーモアの影をも感じさせる。
先に紹介したH ZETTRIOの方々にも瀟洒な印象を受けたが、このhatao&nami氏にもまた、瀟洒であるという感想を抱く。
同じ瀟洒といってもその趣は大きく異なる。
前者が、夜に咲き乱れ、見る人を歓喜させる花とすれば、後者は薄暮に一人で咲く花だ。
その花に出会う人は少ないが、見る人すべてを魅了してしまう。
現在を生きていると、いかに大衆に影響を及ぼすか、などマスな視点に立った人の意見に多く出会う。
もちろんそれは大事なことだ。
けれども、それがすべてではない。
見られずともそこに咲き、それでいて他の何よりも美しい花もある。
否応なしに視野が拡張されゆく今日この頃。
たまには視線を落としてみるのもいいかもしれない。
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