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「怒り」の根底にあるもの

私は母との関係が良好ではない。
母がどう思っているかは不明であるが、少なくとも私はそう感じている。
なぜそう感じるかと言うと、普段はほとんどイライラすることのない私であるが、母と関わるととてもイライラする。感情のコントロールが上手くできなくなる。

この「怒り」の根底にあるものについて、薄々勘づいてはいたが、今日やっと自分の中で腑に落ちた。私の「怒り」の根底にあるものは親子関係の反転であると。

私の母はとにかくコミュニケーションが苦手である。
何かというと"どうしたら良いか分からない"を言い訳に、自分から相手に関わることを避ける。したがって、相手の発言の意味や意図が分からない時でも、相手に質問したり、確認したりすることはなく、自身の独断と偏見で突っ走る。
その結果、しばしば相手に不快な思いをさせるのである。

母がこういうコミュニケーションを取る理由は、母曰く
「お母さんに構って貰えなかったから」
「お母さんに人との関わり方を教えて貰えなかったから」
である。
ここでいう"お母さん"とは、私にとっての祖母のことである。

母自身はそれが原因だと思っているため、私と揉めたときにも
「母親に構って貰えなかった可哀想な自分」トークが始まることがしばしばある。
しかしながら私からすると、
私自身も母に構って貰った覚えはあまりないし、人との関わり方について教わったことなどない。
そう、状況は全く同じなのである。

けれど私は、人を育てるのは親だけでなく、それ以外に関わった人達からの影響もあると考えているため、親から教わらなかったから分からないと言うのは言い訳に感じる。
10代など未成年ならまだしも、とうに還暦を超えた立派な成人が何を言っているのだという感じである。

母のこの「可哀想な自分」アピールに対して、私がイライラすることは自覚していたが、それの何に腹が立つのかについては長年自分でも分からなかった。
けれど、自身も子を持つ母となった今やっと、その理由が分かったように思う。
私は、母の娘であるのに、母の母親のような役割を求められることがしんどかったのであると。

この話を母に伝えたところで、恐らくあまり理解して貰えないであろうことは今までの経験上容易に想像がつく。
けれど、自身でこのことに気づけたことにより、今後の母との関わり方を見直す大きな手掛かりとなった。

母と会った後、毎度母の愚痴を夫に言ってしまう自分を嫌だと感じていたので、自分と夫のためにも今、母との関係を変える時が来たと感じる。

私の人生は他の誰でもない私のためにある。
私は何に時間をかけて、何を大切にするか選ぶことができる。
私は自分の時間の多くを、大切な夫や子供たちのために使いたい。

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