嘆くなり、怒られて過ごした子供時代
幼少期から思春期までを振り返ってみる。
すると、ほぼ、褒められたことがないことに改めて気づく。
1.あからさまな虐待ではないけれど
褒められたことがない。
怒られてばかり。
なかなかツライ子供時代だなと思う。
実家のアルバムには、私の子供時代の写真がたくさんある。
学校行事、旅行、日常のワンシーン。
それぞれに、それなりに、楽しそうに映っている。
確かに、楽しかったこともあるのだ。
でも、私の記憶では、日々、怒られて過ごしたことが大半を占める。
その中でも、なぜ怒られたのか、全然わからない出来事も多い。
大人になってから振り返ると、相当理不尽な怒られ方も多かったと感じる。
2.どこまでやっても褒められることはないと悟った日
私は勉強ができる子ではなかった。
テストで60点取ると「なんでこんなに悪いの?なんでこんなにわからないの?」と言われた。
この質問が、何の生産性もないことは、おわかりいただけるだろう。
だってそれがわかれば、もっといい点を取っている。
勉強の仕方がわからなかった。どうやって勉強するのか、優しく丁寧に教えてくれる人なんていなかった。
今度はテストで80点を取った。
「もうちょっとで100点だったのに」と母は言った。
こんなことの繰り返しで、いつしか私は自分のことをこう認識するようになった。
「私はどうしようもなく勉強ができない、バカな子だ」
3.歩き方がおかしいと言われ・・・
ある日、私は母の目の前を歩いていた。
すると私の歩き方を見て、母は言った。
「あんた、なんでそんな歩き方するの?」
「え?なんで?なんかヘン?」
「もう1回歩いてごらん」
歩く私。
「なんで足がそんなふうに曲がってるの!?歩き方がおかしい!どうするの!そんな歩き方で!どうするのよ!」
私は泣きそうになった。
歩き方が悪いなんて、これまで気が付かなかった。
私が悪いの?
どうやって直したらいいか、わからない。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「しらないわよ!」
悲しい、悲しい記憶だ。
4.社会人になってもまだ怒られる?
そういえば、社会人になっても怒られたことを思いだした。
新卒で就職して、初任給が支給された日。
私は「やっとこれで自分のお金で好きなことができる!」と喜んでいた。
家にはいくらかお金を入れることになっていたが、それだけでOKと思っていた。
ところが、ある日父がこう言った。
「おまえは初任給が出たのに、親に何もないのか!?」
え?
まさか親から、何かよこせと言われると思わなかった。
「普通、ここまで育ててやって、会社に入って給料出たら、何かするだろう?『今までありがとう』と感謝して、何か贈るとか、するだろう!」
「知り合いの●●は、息子から腕時計をプレゼントされたと言っていた。まさかおまえから何もないとは、思わなかった」
私は、とっさに「ごめんなさい。私は感謝の足りない性格の悪い子」と自分を責めた。
と同時に、猛烈な反発心もわいてきたのだ。
「『お父さん、お母さん、ここまで育ててくれてありがとう!』と無邪気に思えるような育ち方を、私はしていないんだよ!」
「親に感謝しない子に育てたのは、あんたたちだよ」
「あんなに怒られて、褒められず育ってきたのに、どうやって感謝するんだよ」
でも実際に私が発した言葉は
「ごめん。今からでも何かするよ。何がいい?」だった。
「もういい。感謝というのは自分から発するものだから、親に言われて嫌々するもんじゃないから、もういい!」
と父は言い、私は「感謝の気持ちがない子」という烙印を押した。
5.嘆きのタンクがカラになるまで
私は、母からは「なぜ私の理想通りの子供になれないのか?」と怒られ、
父からは、「俺の言うことを聞け」と怒られ続けた子供時代を過ごした。
これを書いている間、胸がドキドキしていた。
私はまだ、アラフィフになってもまだ、親に褒めてほしい、認めてほしいという気持ちが残っているのだ。
私は、私に言う。
もう、いいんだよ。親に褒めてもらわなくても、認めてもらわなくても、いいんだよ。
ないものを追い求めても、それは手に入らない。
昔の悲しい気持ちが消えるまで、たくさん嘆こうね。
悲しい、悲しい。辛い、辛いと、たくさん嘆こう。
たくさん嘆いたら、君の嘆きのタンクはカラになる。
そうしたら気づくはず。
あ、私もう、嘆くの飽きたわ。
もう嘆かなくていいや。
嘆くのやーめた!
って。
そうなるまで、大いに嘆けばいいんだよ。
そしてその悲しみを、感じ切って、自分で抱きしめようね。
私は今、このnoteを使って、
そしてカウンセラーを使って、
たくさん嘆く時期をやっと迎えられたのだと思っている。
※タイトルは、The Yellow Monkey『嘆くなりわが夜のFantasy』をもじってみました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?