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夜型カルチャーの発展について

夜。
それは少なくとも電球が発明される1880年代までは、ほとんど得体の知れなかったもの。
この記事では夜と文化について、専門家でもなんでもない人間がフィーリングで語っていく。

夜についての歌や詩が多くなっているような気がする、と感じたのは
AKASAKI「Bunny Girl」を聴いたときだ。
この曲自体に何か夜をとても想起させる物があった訳では無いが、ふとそう思った。

確証があるかと言われれば、集計も何もしていないからわからないが、多分増えていると思う。

私はこれに2つの要因があると考える。

1つ目は、「ヴィラン的カルチャーの登場」だ。
かっこよく言ったが、要するに悪役側のカルチャーが発展したと言うだけだ。「ウルトラマン」「仮面ライダー」など正義の味方が悪を倒すものは
最近見かけられていないのはそういう側面があるように思う。
それは我々が単純に飽きたからだ(おとなになって「アンパンマン」を心から面白いと思えるか、という話である)。
例えば「スパイファミリー」は主人公が「スパイ」「殺し屋」と完全に反社である。「SAKAMOTO DAYS」なども殺し屋だ。
都合の良いものだけをピックアップしていることは認めよう。確かに「ワンピース」や「キングダム」などもある。しかし週刊少年ジャンプは子供向けの雑誌だ。大人向けの漫画、小説などを見ると悪役が主人公であったり、そうでなくても悪役にも多少のキャラクター性のあるものが多いと思う。

さてこれが何故夜と関係があるのかである。
それは、「正義」から「悪」(または正義以外)へと変化していったように
「昼」から「夜」へと変化していったのではないかということだ。
ある局面でヴィランに誰かがスポットライトを当てたように、夜もそうやってスポットライトを当てられたのではないか、という仮説だ。
安易な考えかもしれないが悪役は夜との親和性が高い。
悪役とともに夜が注目されたのも何ら不思議ではないように思える。

さて、そろそろ2つ目に入ろう。
2つ目は「夜の軟化」だ。
前述したように18世紀までは人間の目の構造上夜とは寝るしかない時間だったわけである。
しかし電気の発明によりそれは変わった。
今どき怖いからと言って外に出ないのは子どもと私くらいのものだろう。
現に今、「夜何かしら出る」的な怪異の噂は目に見えて減ってきている。
つまり人間が夜と触れる機会が増えたのだ。
それによって夜という存在が我々にとって昔よりもずっと身近なものになったために増えたのではないか、という仮説である。

しかし、疑問は残る。「なぜ、今になって夜に関連するカルチャーが増えているのか?」という疑問だ。
増えるなら電球が発明された直後でもあっていいはずだ。
これについて私は明確な回答を持ってはいないが、一つは「カルチャーの多様化」かなあとは思っている。
今、目に見えて広まって見えるのは我々(というか私)が確認しやすくなっただけで、別に昔もそこそこ広まっていたのかもしれない(仮説が崩れる音がしなくもないが)。

いかがだっただろうか。長々と1300文字もよくわからん話をしてしまった。
もしこの記事が何らかの役に立ったのであれば幸いである。

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