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病気というほどのものではないものと付き合って生きていく

私はお腹が弱い。
エアコンを付けているだけでお腹が冷え、コーヒーやカレーを食べたときもしょっちゅうお腹が痛くなる。寒い日にアイスなんか食べようものならトイレを占拠して家族に怒られること間違いなしだ。
だから夏は苦手だ。1日中エアコンを付けているのが当たり前なので、少し温度設定を間違えれば総計何時間もトイレに篭ることになるからだ。一日の内4分の1をトイレで過ごすことなどザラにある。
しかし私はそれはそれとして大食いだ。少なくとも家族の中でも一番だと思う。
つまり私は大食いだがお腹が弱いということになる。一見相反する概念のようだが、よく考えると大きさと強さは別なので辻褄は合っている。
私はお腹を下してトイレに篭っている時、低スペックPCっぽいなといつも思う。スペックは低くていつも重くなるが、それはそれとして容量は多い。だから入れられるものをひたすら突っ込んでいるといつの間にかFPSが低くなってダウンする。私の胃袋を表すのにこれ以上最適なものはないだろう。(自画自賛)
しかし、外で催すことはあまりないのだ。トイレに行きたくなるのはもっぱら家で、外でトイレに行くときは殆ど本屋に行っているときだ。私が外出するときは基本的に他の人とのため、恐らく人に迷惑をかけないよう無意識に我慢しているのだと思う。私は怒ること以外は我慢強いほうだ。
私は恐らく10年ほどこの胃と付き合ってきているが、実感が湧いたのは割と最近だ。コーヒーを飲めるようになってから、「もしかして私はお腹が弱いのではないか?」と感じるようになった。何故今まで気づかなかったのかと我ながら呆れる。
私はこれからも刺激物を胃に入れてはトイレに駆け込むだろう。大げさに言うと疾患と生きていくことになるのだ。それが辛いとはあまり思わない。
きっとそこには人生に対する諦めがあると思う。

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