見出し画像

この世は不思議なことでできている

風景写真にしようと思ったのに、
この画像の可愛さにやられてしまった(笑)
タコさんウインナー!

遠い昔のイメージの火星人っぽくてかわいいよね……

さて、最初のtake notes(メモ的雑記、的なもの)
noteの中のnoteみたいな感じは、
【この世は不思議なことでできている】ということ。
不思議な連続でできている、と言ってもいいのかもしれない。

日々、ご相談を受けたりして、色々なお悩みに耳を傾けていると、

「こんなメッセージが隠されているなぁ」
「でも気づくかどうかはその人次第だなぁ」
ということが本当に多い。

先日も、占いセッションを受けていただいた日が、
まさに亡くなられたお父様の生前のお誕生日の日だったり、
これもセッションの途中で私が気付き、お伝えした、とか。

この間も、亡くなられた日が感謝の日、という3月9日ということに
そのお嬢さんが気付かれていたり。
※マヤ暦と易学の、易の部分でその日を見たら、これもまた【感謝】の意味合いであったり。

今年に入ってすぐの対話の中では、亡くなられたお兄様のその日が、
【妹】という漢字がつく易の日だったり。
妹さんであるその相談者様の事を、いつまでも思っておられたのだな、
と受け取ったり。

最近学んだ亡くなった方からのメッセージとして紐解いてみる、
というものも、あながち後付けではないのだな、と思ったり、
何かしらのメッセージが隠されていることを相談者様と一緒に目の当たりにさせていただいている。


目の前で肉体から離れて行くその流れを実際体験しても、
もうここにいないのだな、と思っていても、
お葬儀をしたり火葬をして弔っても、

私たち人間はまだ【死を認識できない次元】にいる。

だから、「亡くなったこと」は、目で見ているし、
実際その人がもう居ない=この世から旅立っているからこそ、
現実問題として頭で理解はしているのだけれど、
心の方では、片付けられない悲しみや喪失感でいっぱいで、
受け入れられられないのだ。

だってここまでの時間、そこにいたわけであるから。
その過ごした時間が長ければ長いほど、
拒否感や受け入れられなさがある(出てしまう) のかもしれない。

生きている時は、あれこれ言い合ったり、
思ってもいない事を言って強がっていたりしても、
本当に目の前からいなくなってしまうと、もっとこうしていれば、
もっと伝えておけば、となるのはその所為かもしれない。

ヒトの心とは目に見えないけれど、
この世も目に見えないものだらけで構成されていて、
亡くなった後も目に見えないからこそ、思いを馳せ、思い出して語らい、
少しずつ思い出に変えて行くのかもしれな所為

現代人、目に見える事だけにフォーカスするように生かされてきているので、目に見えないことは怪しいとか怖いとか、イケないもの扱いしているが、でも、潜在意識が97%とかである、というこの世で、
目に見えないもの=不思議なものの方が多いのではないかな、と
占いの末端にいる私は思っているのである。

でも、これらの不思議なメッセージも、
信じるも信じないも、受け取るも受け取らないも自由。
どっちでもいい、と思っている。

少しでも心が救われるなら、このメッセージを使えばいいし、
なんとも思わないならば、スルーすればいい。

でも気づけるかどうか?
一旦は受け取れる器があるのかどうかがないと、
使うのか使わないのか、受け取るのかスルーするのかの選択もできない。

どんなこともそうだけれど、
柔軟性を持って、一旦味わってみてから決める、がいいのではないかな、と
ちょっと変わった視点を持つ私は思うのである。

ま、こんな変わった占いやる人が1人位いてもいいよね、って話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?