何故か蟻葬。
※小さな生き物達の死と、私の死に対しての一つの思考に触れる話なので、死に対して強いこだわりのある人、悲しみの強い人は読まないことをおすすめします。
自分で防御壁つくれる人は平気でしょう。
生き物は好きだ。
でも、死に関してドライなんだと感じる。
そんな私の幼少の虫供養方法は蟻葬。
蟻葬は造語。
読んで字のごとく。
虫の亡骸はほぼ全て蟻の巣穴入り口に差し出されるのだった。
『死んでしまったなら、食べてもらえばいい』
家に迷い込み、残念な事に亡くなった虫達は小さな私の手でいそいそと外に運ばれる。
そして、そっと蟻たちに託される。
蟻たちは忙しそうに亡骸を分解していく。
じっと観察する。面白い。
たまに受け取ってもらえない時はそのままだ。
(乾燥したダンゴムシは不評だ。いや、ダンゴムシは生きてても不評だ。やはりバッタあたりが人気。)
どうせ蟻が食べなくても、鳥たちが突きに来る。それか、そのうち土に戻る。
思い出したけど、他の生き物も大抵、亡骸は何かに差し出される感じだった。
金魚もメダカも亡くなれば、ザリガニに与えられ…あぁドジョウもあげて骨が綺麗に残ったのには感動した。ドジョウの骨は立派なものだった。
金魚も、メダカも、ドジョウも、大切に育てた。毎日眺めた。可愛いと思っていた。
でも死んでしまった時に悲しみよりも「死ぬと目が濁る。体がボロボロになる。ほっとくとカビる。」など観察する目のほうが強くなってしまう子供だった。
そうだ。ハエなんかは袋で生け捕りにして(我が家の人間はみな、袋生け捕りを一度はやる。)カエルにあげていた。
どうせ、殺虫剤で殺すくらいなら、食べてもらえばいい。カエルも嬉しそうだ。
そしてそのカエルが死んだら、ザリガニに、ザリガニが死んだらカラスに………
そうやっていた。
自然界では当たり前みたいな事だが、コレをやるのは珍しいのかな…いや、なんか、怖い?のかな?
なんだろう。なんでこうなのか。
小さな頃からそうだった。
自然にそうだった。
祖父や父が『自然と遊ぶ』人達だったからか?生き物の食物連鎖を当たり前のように目にしていた気がする。
やたら野原や、沼地や、用水路や、雑木林に連れて行かれていた。
それにしたって、これをやったり、下に書いたようなことを思うのは兄弟のなかでは私だけ。
妹も弟も、私より多めに『かわいそう』『かなしい』が生まれる心の持ち主。
それと、人間の目線から人間らしい心で生き物を見る。
私…そのへんがなんか薄い?
『もし死んだら、大きな木の根本に自分の死体を置きたい』
これは私が中学生の頃に抱いた夢の一つである。
そうして、動物や微生物に分解されながら、私の肉体は地球にゆっくりかえっていくのだ。なんて素敵なんだろうか。自然で。
しかし、それを人に話すと驚かれ、怖がられるか、気味悪がられるか、罵倒されるかだった。
なぜ?
地球に体をかえすだけの事が、なぜこんなに難しいのか。
森の養分になるか、動物の糧になる方が焼かれて墓石の下に置かれるよりよっぽどいい。
でも…添加物にまみれたこの体では、迷惑だろうとも思う。
そんなふうに思う。
私には…だから、他の人が感じるものが人間らしくて、それは愛で、そういうものでというのは理解できても『強烈な違和感』を持つ時がある。
でも、人の心理って複雑で、社会の中の常識があるから保ってられるところもあって…それが解らない訳ではないから、こんがらがるし、たまにすごく窮屈な気持ちになる。
私は命そのものを愛している方だろう。
死に対して悲しみ落ち込むだろうと思われている時がある。びっくりする。そう見えるのかと。
私は、冷静で、とてつもなく冷静で、頭の中でいろいろな事を考えつつ、役目を終えた肉体が地球にかえる事を望む心の持ち主だ。
葬儀だの、死に関わる出来事の際にぐったりした顔をしているのは……別の理由。
人間って本当に変……………………。
私も変。
全部言うと、だめだなって思う。
どんなに言葉をかえても私の持つ心はちょっと特殊。
「わかるよっ」て人は、その心を持ってるからわかるのであって、それはやはり特殊だとは思う。数は多くないと思う。
いっぱいいたら、墓は今頃廃れている。
人間の心は複雑。
電子の海は様々な人がいて、それに触れているからか考えも柔軟な人が多いと思う。
それで、こうやってたまに書いてみたりする。
それでも、私の思考は時に「コミュニティから出ていけ」「犯罪者なの?」「頭がおかしい」と言われるもの。(どれも…むかーし言われた言葉たち)
多分、何かが違うのだろう。
同じ人もいるだろうけど。
誰かの気持ちや考えも大切で、私はそれも理解したい。
でも、理解するのは染まるのとは違うから。
私は私がこう思う事を、書いておくよ。
今だって、いつかこの命が尽きたとき置いていく肉体は墓じゃなく土にかえしたいと思っている。
それが出来ないかもと考えると、苦しいので「地球が死ぬ時に、きっと身体も宇宙に戻れるから、それが救いだ」とか考えている。我ながらよくわからないけど、おわった肉体も、精神と同じく自由でいて欲しい。
そんな私もいるのでしたとさ。