森の中にいる時の私
森にフラフラ遊びに行く。誰も居ないだろうって遊びに行って、人が居ると解ると固まってしまう。
小学生の時からそういう所はあるんだけれど、私は人に見つかりたくない時がある。仲良しの友達から隠れながら帰ったり、休み時間一人になれる場所を探して非常階段に座っていたりした。
時には、大通りが駄目だったりする。路地裏を遠回りでも縫うように行ったりする。そういう時は、数m先に人影を確認したら、たとえその道が近くとも曲がる。酷いときはUターンだ。
今日は何時も人の居ない森に人がいた為、草かげに隠れ様子を確認し、会わないようにルートを変えた。結果、少しばかり迷子になった。
人気のない場所で人が居るとまず隠れる。本当に草や木の影に隠れて息を殺す。必要なら藪の中に身を低く屈めて隠す。なるべく相手が見える位置でジッと観察して気付かれないまま何処かに行ってくれるとホッとする。
狐に見つかりそうで木のコブに化けてやり過ごす野ウサギはこんな気持ちなんだろうかと思ったりする。
誰も居ない場所でのびのび活動している時も、人の出す音がすれば方向を探ってしまう。まぁ、猪も出くわすのは不味いので山や森は警戒しているというのもある。
見つかったら仕方なし堂々と挨拶を交わし、堂々とお喋りをする。話しかけてくる人の話をフムフムと聞き、終わりには「(聞かせてくれて)有難う御座いました〜!」と言う。
集団行動は嫌いだし、何時も一緒とか決められた感じの繋がりも嫌いだ。
でも、私に話しかけてくる人は『話がしたい』のだろう。人自体が凄く嫌いなわけではない。もしかしたら、面白い話が聞けるかもしれないと思って話をする。
でも、どうも周りの友達には私のように隠れる人はいない。『人が居ると嫌いだ』という人はいるけれど、私のとはちょっと違う気がする。森から帰ってきて、そんな事を考えていて、後輩との話を思い出した。
後輩に「ナナフシさんは、西表山猫って感じです」と言われたことがある。
「家猫みたいに誰かに懐くとかじゃなくて、西表山猫みたいに野生に生きてて『私に会いたいなら西表島まできたらいいじゃない』って感じです。」と。
当時は「あんな立派な生き物程気高くないし、会いに来いなんて、そこまで傲慢でもないよ」と笑ったのだが…まぁ…隠れ方的には野良猫だの野ウサギだの…野性味溢れているなぁなんて思った。
後輩の言わんとしている事は、今回の事に直接関係ないけれど、『野性』という部分が引っかかって思い出された(こういう事が多々あって、文にすると「だから何?」ってなるけど、私の頭の中では繋がってたりして、それも書こうと思うから、多分他人はやっぱり「だから何?」ってなると思う)
しかし、私は人間の肉体なわけで、人間はそうやって身を潜めると不審者になりかねない。とてもリスキーな隠れ方なのだ。
本日はリスキーな隠れ方を2度ほど繰り返し、更に迷子になり、鳥もほぼ撮れず森からノコノコ帰ってきたのだった。年末年始で人が溢れている…。普段いない所に。隠れる日々はまだしばらく続くかもしれない。
森でコソコソ隠れるひょろ長い女が居たら私かもしれないので、そっとしておいてあげてください。笑
今年も今日で終わりですね。気づいたら31日になっていた。笑
あと1日の今年も楽しく過ごして、来年を迎えましょう!