存在してる、でも、知らない
好きでも、嫌いでもない。
関わりが薄いからそういう感情まで至らない。
傷ついていない、傷つけていないなら良いじゃないかと他人は言う。
私も楽でいいとは思うけど、違いを見つけて調べてみたり、考えてみたりするのが楽しい時もある。
楽しい…のとは少し違うかな。
でも楽しいのかな。
わからないや。
でも、間違いないのはそこに「悲しみ」も「怒り」もないこと。
そんなものは既に通り越して化石になりつつある。
ま、たまに掘り起こすけど。
今回のは淡々とした楽しい?やつです。
私の「父親」を書こう。
母親の話はnoteでも何度か書いた記憶。
彼女に関しては、永遠の女子高生だと思ってる。いや、もしかしたら中学生なのかも。
彼女は「母親」をやろうと必死だったが、彼女に「私の母」は荷が重いというか、相性が悪い。
結果、今は嫌いも好きもないが、距離の必要な関係となった。
では、父は?
彼は、永遠の大学生。サークル活動に大忙しの大学生のような人。
父は健全な遊びの才能に恵まれた人。
水泳が趣味で水曜日の夜は、家にいない。
スーツを着て出かける姿はあまり見なかった。
あの人はあろう事か、私が生まれてしばらくも、バイトみたいな仮的な、仕事しかしていなかったという。
私を育てられたのは、祖父母サマサマ。
いや、まてよ。
普通に家を継げよ。自転車屋を。
どうやら大学は美大系らしいが、そっち系の仕事につかなかったのは祖父が家を継げといったからみたいなんだよね……
そう。私は父や母がどこの高校だったとか大学だったとか、仕事はなんだとか、昔の話とか、そういう話をほぼ聞いていない。
大人になってきた時に、親に相談するような、親の話を聞かされるような、聞きたがるような関係は私達親子には皆無だった。
聞いてみようとも思わなかった。
その辺りが、たぶん、他の人と私の少し違うとこ。
父は怒鳴ったり、殴ったりする人ではない。
外遊びが大好きで、小さな頃は沼地や土手にはよく連れて行ってくれたし、メダカもヤゴも連れ帰ることを許してくれる人だった。
むしろ嬉々としてゲンゴロウも連れ帰る人だった。
スキーだって父と2人行ったことがある。因みに、その時は一滑りした私が盛大にお漏らししたので、即帰宅となった。呆れられはしたが、凄く怒られたりはしなかった。スキーウェアを4歳成り立てひとりでトイレを焦りながら脱ぐことは出来なかったなぁ…。私は鈍くさい子だった。
今思えば、私が4歳ということは母が妹を産んだばかり。それでも大好きなスキーに行きたい父は私を連れてく選択をしたのだろう。
遊びのためなら子供達も面倒見られる。
大学のサークルの先輩的な父であった。
けれど、世間一般的な「父親」としての役割はほぼ果たしていないと娘の私は思う。
そもそも、あの人の娘という感覚もかなり薄い。
父のことは、知り合いかなんかだと思っている。
私が結婚すると言った時も、特に何も言わなかった父。あ、おめでとうとは言ったか。
lineで入籍しましたーって入れても怒られない。
その程度の関係。
怒られない事に寂しさを感じる私だったら、もう少し上手に親子が出来たかな?と思いつつ、うるさいこと言われなくてサイコーっ!!と心から思った私がいた。
今もいる。
もし口出してきたら、出せないほどに叩きのめしてやろうとする凶暴な私がいる。
親が私の枷になる事を、私は許さない。
許せないんじゃなく、許さない。
なぜだろう。
ここが不思議。
そんなに抑えつけられたわけでも、傷つきはしても深いわけでもないのに。
何時までもそこだけはかわらない。
実家を離れたのが中卒と同時で、それから少ししか実家に行かない娘だから記憶が薄いんだろうね。
でも、私が梅干し好きな事も、すっかり忘れているのには流石に飽きれた。
当時から、なーんにもみていなかったんだなと、その時はすごく納得した。
因みに、妹には少し関心があるらしく、妹が問題があった時は妹の住むアパートまで駆けつけたらしい。
私はそれを母から聞いて「それ、私の知ってる人じゃないんじゃない?」と言ってしまうくらい、私と父の関わりは『外遊び仲間』以上にならなかった。
いつかの葬式の時に言われた「親戚のとこのお姉ちゃんみたい(どっかの家のお嬢さんみたいに会うの久々だね)」という言葉が全てを語っている気がする。
それを言われた私が『そら、そうだわ。良かったー。執着してくるタイプの親じゃなくて』と心で思いニコニコしていたのも。
だから、私の中では父親は存在しているけど、父親という生き物の生態は知らない。という状態だ。
それが私の中の「父親」だ。
noteには多数の「父親」が生息していて、私はそのどれもが興味深い。
自身が「父親」な人。「父親」との思い出を持った人。
どの話もとてもとても興味深い。
中には刺すような痛みのある話もあるが、それでも興味深い。
私の知り得ない、私はわからない「親子」という関係がそこにあるのが面白い。
どうか素敵なものであれ。
その親子関係。
その父親という役目。
そう願う。
もしそうじゃなかったとしてもさ
あなたはあなたの道を行こうぜ。
私は私達と
私の道をルンタッタ。
雑記↓
私は彼ら親の事が今は好きでも嫌いでもない。
親という枠をとった彼らは、なかなかに面白く、そして不器用な人間だということを理解している。
『誰かの娘』『誰かの子供』になる事に憧れはあった。
けれど、あの人達には無理なのが解っている。
だから、諦めた。
因みに義父母もやはり駄目だった。
きちんと『親』な方々なのだが、それが逆に駄目だとわかった。
なんにしても、そういう役をやろうとする人間を前にするのは私は苦手みたい。諦めるほかない。苦笑いである。いや、いっそスコーンっと笑える気もする。
私の『親』をやるのには、それ相当のパワーがいるのだ。
彼らでは私に押し負けてしまうし、私も破壊してしまう。
何も大事でなくても、小さなひびが無数に入れば、特定の周波数をあてれば、砕け散る。
私は周波数があってないんだ。親子関係に。
親が親出来てないなーと思っていたが、私が娘出来てないなーなのである。私が誰かの娘や、誰かの子供の役にハマらないのだ。なんてこった!!
あははーと笑う。
人から見てもわからないような
話しても「?」となるような
小ささの中に
グレーの中に
こんなこともある。
もしいたら。
同士よ。
大丈夫だ。
適度な距離で 適度に暮らそう。
そうやっていこう。
そしてそうではない人達を温かく見守ろう。