忘れものの森
柔らかな五月雨のような歌声を、私はよく、本当に雨の日の寒い部屋で、CDコンポから垂れ流していた。
彼女のことは、テレビのCMでしった。
シュールでレトロで愛おしい映像だった。
「忘れものの森」はそれで使われていたわけじゃないけれど、抜粋した歌詞の部分が当時の友達にピッタリはまっていると思った。
その友達に届いたかはわからないが、当時もこうして、私は電子の海に想いを流していた。
私は彼に「もしも」にとらわれて欲しくなかったし、彼なりの形で創作をしていられたらいいと思っていた。
切なさのボリュームをMAXにしたような歌とは違う。
紙の端から水に濡れて柔く解れていってしまうような、なんといえばいいかな、残念な気持ちと切なさが混じったような歌だと思う。
厚い雲がほんの少しだけ割れて、光の存在を思い出すみたいな、そして、それに温められることは抗いようがなくて、雨の下や雲の下が愛おしくないわけじゃなくて、でも、光も必要で。
忘れることは、失くすのはとは違う。
セピア色の写真に閉じ込められたような、そういう心地よさもあるけれど、そうじゃなくて、鮮やかで、息が詰まるほど綺麗で乱暴な、生きている世界で鼓動する。
何時だって生きている側が、そうやって進むしかないのだろう。
セピア色の世界は、多分ずっと甘くて温くて素敵なままだ。
根っこをよいしょよいしょと動かして、いつか花咲くまで、私達は道を歩み続けるのだろう。
そして、いつかは倒れ枯れ行くのだろう。
そんなふうに、私は思う。
彼女がどんな心で作ったかはまた別の話かもしれない。
これはあくまで、私の感覚。
今もたまに聴くのだ。
他の曲も合わせてね。
昨日、夜ふと聴きたくなって聴いたので記事にしてみたの。
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