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大事だからじゃなくて、当たり前みたいに居る存在
私は小さい頃から、これでもかとぬいぐるみを持っていた。
大好き。ぬいぐるみ。
大人になってからも、ぬいぐるみ好きは変わらない。
お気に入りのぬいぐるみは布団に持ち込み、モニモニとこねくり回して、一緒に眠る。
風水的によくないって?気にすんなっ!
(私の場合は集まる細々したものも友である)
引越し時泣く泣くお別れした子達が多い。
しかし、何故か1つだけ、ずっと一緒のぬいぐるみがいる。
それはクマのぬいぐるみ。
実家を出る時に連れてきて、今も共にいる。
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このクマは日本のぬいぐるみメーカー「サンアロー」のフルーリストというシリーズの子。
(フルーリストの子は首にリボンをつけている。)
多分、サンアローのぬいぐるみにお世話になった人は多いはず。今も、お世話になってる子供達も多いはず。
私が生まれるずっと前からある会社だ。
さて、このクマ。
実は凄く思い出があるわけではない。
私が2歳か、3歳の時に母方の祖母が誕生日に買ってくれたものらしいが、私は同じ頃に強請って買ってもらった今はない牙のある象のぬいぐるみのほうが覚えているし、大好きだった。
他にも、ピンクのいるかや、ふかふかのペンギン、大きな亀や、クマだってほかにも沢山いたのだ。私の大好きなぬいぐるみは。
小さくて、ゴワゴワして(最初はふかふかの毛だったはず…覚えていない)色味も暗いクマに執着はしていなかった。
なのに、
気づけば何時も一緒に引っ越している。
大好きだったコーギーのぬいぐるみは泣く泣く手放した癖に、何故か一度だって手放す気持ちにはならなかった。
大切だから一緒にいるとかじゃなくて、いるのが当たり前だから一緒にいる存在。
綿もだいぶ抜けてしまってヘニャヘニャの手を握る。
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たぶん、最初に触った日はそこそこ大きさは感じるサイズだったろうけど、今はとても小さく感じる。
何時も部屋の片隅に置いてある。
他のぬいぐるみに埋もれるようにいる。
でも、たまに思い出したように触る。
何かこのクマと心温まるエピソードの1つでもあれば、納得だが…本当になにもない。覚えていないのだ。この子と遊んだ事を。私は覚えていなかった。他のぬいぐるみの記憶に埋もれて、遊んだ記憶を忘れてしまったクマを不思議と連れている。
当たり前だから。
いるのが当たり前だから。
きっとこの先も、たいした物語は生まれずに淡々と私の人生の片隅に居るのだろう。
そして、何時か私と一緒に灰になるんだろうと思っている。
ゴワゴワしてて、リボンも焼けていて、綿は抜けてクタクタで、元の姿が1つも思い出せなくて、小さい時に遊んだ記憶も抜け落ちたクマは、それでも、ぬいぐるみとして側にい続けてくれる。
物は健気で可愛い。
何気なく、さりげなく、当たり前のように一緒にいようと思う。
あなたにはありますか?
特に思い出はないのに何故かずっと側に居てくれるモノ。
不思議。
でも、ちょっと嬉しい。
そんな私とぬいぐるみの関係でした。
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