母曰く『あんたって本当、爺ちゃんに似てるよね』
祖父が何歳だったかは覚えていない。
私の実家は祖父母が店をやっていた。
因みに、飲食店ではない。
祖父は人付き合いの上手な人だった。
友達が沢山いた。
お店には何を買うわけでもなく祖父の友達が煙草をふかしにきていた。
小さな私は重たいお盆をゆらゆらさせながら、お茶を配っていた。
祖父は遊ぶのが大好きな人だった。
釣りが趣味。
それはある時突然きた。携帯電話はオレンジ色に画面が光っていたくらいの頃。
祖父が家から消えた。
軽トラもない。
祖母も、父も、母も、私も、妹も(弟生まれてない)誰も行き先を知らない。
昼間、釣り堀に出かけてしまい帰ってこないことはよくあるが、その日は夜までかえらない。祖父は携帯電話をもっていない。
どうしたものかと思っていると電話がなった。
それは祖父からの電話だった。
祖母が何処にいるのかと尋ねた。
祖父は、なんと…………熱海にいた。
実家から熱海まで近くはない。けして、近くない。遠い。
友達に海釣りに誘われたから漁船に乗るとの事で、急な旅行というやつだ。
祖母は「お父さんお店はどうすんのよっ!」と怒っていたが、祖父のことだ。「んなもんっ、しめとけ。」とでも返したのだろう。
お店は次の日お休みだった。
とても自由な人だった。
頑固な人でもあった。
しかし、仕事は真面目で「おじいちゃんには本当にお世話になったのよ~。」と外で会うお客さんに言われることは多かった。(私が、店名を話すから……庭先などに出ている知らない人にもよく喋りかける子だった……)
私は祖父が好きだった。
だからついて回った。
配達も、釣り堀も、町内会の活動も、お祭りの提灯持ちも、どこでもついて行った。
私が大人相手に人見知りをしなかったのは、祖父の友達やお客さんが小さな私を可愛がってくれた記憶があるからだと思う。
おじちゃん達の会話にも混ざり、お菓子をもらう技が日々磨かれていた気がする……。
妹は引っ込み思案なので、無理だったし
弟はおっとりしすぎて、馴染まなかった。
長女の私だけが持つ能力(お喋り)だ。
そして、私が大人になった時に母は私の自由さと頑固さを見て「爺ちゃんにそっくり」と言った。
彼女にとってはちょっと敵。
彼女の自由を奪い(外での仕事に反対されたらしい)、小さな私をとりあう(祖父はそんなつもりないとおもうけど)相手だった。
そんな祖父と私が似ている。
母は似てると言った時、飽きれたような笑いを浮かべていた。
私の祖父は風の星。
私もまた風の星。
相性バッチリだし、性質が似ているのだ。
『そりゃ、似てるだろ』などと私は思う。
しかし、母はそんな事は知らないから、本当に似ているのであろう。
祖父の方が私の何倍も自由で頑固だけどね。
祖父が亡くなったのは、病院嫌いなのも原因だと思う。
真面目に治療に行かないタイプだ。
彼は治療に行くより、配達に行き、釣りに行き、友達と話すことを選んだ。
それでも体が限界を迎えると入院となった。
入院中、何度か一人で勝手にお見舞いに行った。
厳しい人でもあったので家ではけして孫にデレデレし過ぎる事もなく、よく怒鳴られもしたが、病院で会う祖父は何時も嬉しそうな笑顔だった。
夏休みだった。
祖父が亡くなったのは。
夜連絡が入り、会いに行った病院の窓。
張り付くヤモリが虫を捉えるのを見ていたのを覚えている。
私は泣かなかった。
死が理解できないほど小さくはなかった。
時が経っても寂しさに出会わなかった。(これは今の私もそうで、これが私の冷酷さだろうと思っている。)
葬儀中、イトコ達の涙を横目で見ながら、祖父は天国でも釣りに行くんだろうと思っていた。
祖父に病院のベットは心底似合わなかった。
彼は自由に遊び歩き、友達と笑い合い、お客さんに感謝される人である。
『きっと今頃、釣りしてるんだろうなぁ』
葬儀は華やかだった。
友達や、知り合いが沢山来た。
祖父の友達はみんな陽気で、葬儀の合間に手品を見せてくれたり、思い出話をしてくれたり、いつものお店みたいにワイワイ過ごした。
涙の溢れる数より、笑顔の溢れる数が多かったのが、子供ながらに印象的だった。
そういえば、祖父のヘラブナ用の釣り竿は確か従兄弟が持っていったはずだ。
私も貰えばよかったなーなんて今思う。
なんで、祖父の記事を書いたかというと6月は祖父の誕生月だからだ。
彼は私が初めて接した双子座の男だった。
小さい頃から本能的に双子座が好きだったのかと笑う。
因みに祖母も双子座。彼女も自由な人だった。
初推しの子も双子座…………
会話が楽しくて夜が明けたのも双子座………
なんやかんや一年友達以上恋人未満をしたのも双子座………
やたら気になるYouTuberを調べたら双子座………
くっ、、
双子座を近くに置きたい人生だった、、、
何故か双子座とは深く縁を結べない。
私と深く付き合うと双子座を傷つける気がするんだよね…
実家にはかれこれ三年行ってない。
墓には…えーっと、忘れた。多分、三年の倍は行ってない。
noteを見るとみんな割と家族仲が微妙でも、墓参り行ったりとか、連絡とったりはしてるのかなーなんて思う。
私は、意地とかそういうのでなく、本当に薄くて薄くて、忘れてしまうのだ。
そんな私でも、家族の誕生日くらいは覚えている。(年齢は忘れている)
だからこうして、思い出した祖父の話を書いてみた。
どうしても思い出が幼少期。
これ、父母に関してもそう。
私が薄情というか、冷酷というか
まぁ、そんな関係もあるよなと思う。
とりあえず、祖父は面白い人だった。
そういう思い出。