日記 超いい女と死ぬほど愛し合いたい
シャニマススレではない 支配層も出てこない
最近見たやつ あるいは"orphan"について
仮面ライダー555 20th
事前情報なしで劇場版だけ観に行った。内容うんぬん以前に、死ぬほど親切に作られていて助かる。ニチアサ原作だからか、普段とはまた少し違う文法が用いられていて悪くない。
主人公は怪人種族「オルファン」として生まれ、仮面ライダーとして同族を狩りながらも、人と怪人との共生の可能性を探っていく。20年前の作品の割に随分テーマが現代的というか、あるいは原理的なテーマだからと言うべきか。
水やクリーニング屋のモチーフは『怪物』(2023)にも見られたが、本作では油やラーメン屋を対比させることでより際立っている。「キレイに」されていく世界において、生まれながらに「汚れた」存在はどう生きていくのか。あるいは、人間の「汚れた」部分をどう許していくのか、ここに子供向け作品におけるタブー、「性愛」「生殖」のモチーフが現れる(故にPG12)。
『怪物』の無垢な子供達は「楽園」へと逃走するが、『パラダイス・リゲインド』の大人達は内なる破壊衝動に苦しみ、多くの仲間を失いつつも、寄り添い、家族となる。
明快な答えが提示されないのは尺の関係上か、否、矛盾でしかない生き方をそれでも肯定するならば、曖昧な希望のみが相応しい。生きて子を成す欲望さえ否定してしまえば、もはやそれは人間ではない、そう思ってしまうのは私が古い輩だからなのだろうか。
人間じゃなくなってもいい、それはそう でも健常者の同胞達がそれに耐えられる? 人付き合いは苦手だが、二足歩行野郎が減ると俺は寂しい!
まぁ俺がムニャムニャ書くより当時から追ってた方々の話聞いたほうが早いっしょ 特撮「春映画」特有の事情みたいなのもあったりするんだね
ブレンパワード
デカい力を体験したかったので。あまりロボアニメを見ないせいもあるが、なんだかんだ富野作品は初めてかもしれない。
テーマとしては「オーガニック的な何か」との対話と共生、こう聞くとシンプルを超えてもはや陳腐。時代を考慮しても作画は弱いが、妙なエネルギーをもらえる作品だ。
超巨大海底遺跡「オルファン」の浮上に伴い、滅亡の危機に瀕した人類は内部抗争に明け暮れる。ブレン(そういうロボット)に話しかけていた頃からだいぶ怪しかったが、最終的に主人公は「オルファン」との対話に成功する(なんで?)。
ブレンやオルファンといった「自然」は現代においても好意的に受け入れられているので、それと共に生きようというメッセージは我々にも簡単だ。
しかし『555』でいうところの「怪人」とはどうだろうか。すなわち『ブレン』を彩る「何コイツ」みたいな妙なキャラクター達、もといクソめんどくさい家族だろう。こいつらと共に生きていけるのか、いや、いくしかないんだろ。
本作はヒロインのヒメにハマれるかが全てかもしれない。確かに親兄弟はクソウゼーし、自分たちがそうならない保証は全くないのだが、それでもなお、コイツとなら最高の家族になれると本気で信じられるか。
見りゃわかるけどもうOPがほぼ全部だわ
女(※)、美しすぎる
※本当は「女性」と表現したいが、言葉遣いが富野に引っ張られてしまう てか男も美しいし!
エアマスター
※プリキュアの妙な空中関節戦の元ネタになったとかなってないとかのやつ
田舎でしか得られない体験、という概念はもはや駆逐されつつある。先日、気が狂って魔都(東京ともいう)を訪れたのだが、ウチの田舎なんぞよりよほど「田舎らしい」。道は広く、緑に溢れ、人と人とがつながり、古きものに見守られている。余裕のある街、計画された街、生命力を吸い上げる街、心地よさの他に何も残さない街!
しかし『エアマスター』だけは別で、こういった類の漫画は都会(のブックオフ)にはない。これが田舎に行くと5回に1回くらいはあって、それが一昨日のことだった。
何故「たまに」しかないのか、私が勝手に「めだかボックス現象」と呼んでいるのだが、ふと立ち読みすると猛烈に面白いので、そのまま全巻買っていかれてしまうからだ。
当然ふらっと立ち寄っただけなので、大人買い用のリュックなどはなく、あまりにも貧弱な黒レジ袋が壊れるのが先か、TLにブルアカのポルノが流れてくるのが先か、といった有様である。全28巻をみっともなく抱えてなんとかコンビニまで辿り着き、多少丈夫な白レジ袋を2-3枚調達する必要がある。
大人気漫画ならブックオフに「ある」のはおかしいが、ここに「めだか現象」の妙がある。なんとか家に持ち帰って、存分に読み返すかといえば、そんなことはない。疲労困憊のまま玄関横に山積みにして、日々の通勤通学の度に邪魔くせ〜と思いつつ、1ヶ月くらい経つとすっかり売り飛ばしたくなる。そんなわけで、いつもの最寄りのブックオフに、多少の恥じらいを携えつつも、二束三文で再度引き取ってもらうことになるわけだ。
一応内容の話をしよう。といっても、絵も微妙(※)、ストーリーも戦ってるだけ、見どころの妙なキャラ達と台詞回しを紹介するとなんだかアフィリエイトみたくなってしまう、なんとも批評家泣かせの作品なのだが。
※なんなら年々下手くそになってるらしい、なんでだよ
ある者は退屈な世界に絶望し、ある者は死んだ親の呪いから抜け出せずにいる(≒孤児)。ならもう、寂しかったらどうするかといったら、そいつら同士で戦って「安いプライド」を認め合うしかないだろう。
ところで、本作におけるストリートファイトは「愛」なので、主人公は最凶のライバルと殺し合い、互いの全存在を認めた結果、必然的にまぐわい、妊娠する(何?)。まぁでも そうだよね いずれ批評もこうなるから おれと庵野とでまぐわっちゃうからね
まとめ
私は神経症的な気質があるので、バランスのため「無神経さ」を実践している。いずれコントロールを失って、路上で叫び、道ゆく人の尻を揉み始めてしまうかもしれないが、それはそれで面白いのでいい。というか、行きたくともそこまで行けない。私には「破滅」の才能がない。
あまりにも大雑把すぎた時代の反省から、人々はよく学び、とにかく「善い」世界を追い求め、なぜか神経症の時代が訪れた。薄汚い昭和に逆戻りするのは嫌なので、もう少しいい塩梅へと「進む」必要がある。
「正しさ」的なものは勉強(おれの得意分野!)すればシステマチックに積んでいけるはずだが、その逆、「無神経さ」を「学ぶ」ことはできるだろうか。理論上では「正しくない」とされてしまうものを新時代の理論で包括できるだろうか、それも一人残らず!
スマートなゴリラの詩人になりたいぜ それはそれとしてにゃららが筋トレしてるのは叩く あいつはシンプルに気に食わん!
おまけ ボーはおそれている
ユダヤ教の勉強不足ゆえアレだが、その苦難をなぞっているんだろうくらいの認識。一応「森の孤児」みたいなのも出てきたが、料理しきれなかったので見なかったことにした。
神経症的で面白かったけど、どこかで見たことがある気がする。どこかで見たことがある気がしても繰り返し楽しめる作品もあるので、まだ悪口かはわかんないし!まぁ今日のおれには楽しめんかったですが……
Q.『ミッドサマー』の村もそうだけど
『ルックバック』みたいに怒られないの?
A.現代人は全員神経症気質だからOK
マジョリティに潜む病理を自虐しただけっす
A.『花束みたいな』もサブカル当事者は許してて、むしろアレ観ながらクネクネHしてるか既に過労死した これも自虐だからセーフ
A.村はこれとは別のロジックで、もはや概念上の存在だからセーフなんだって そうでつか
なんというか、チムポだかマンクだか知らねぇが、黙って俺についてこい!としか言えなくなってしまった。口の中がエアマスターの味になってる状態で観に行くのはやめた方がいいらしいね
公式がなんか答え合わせみたいなの出してくれてるから考察とか好きな人は見ればいいんじゃないかな
追記
夜で冷静になってきた(なるな!)けど『ボー』だか『ムー』だか知らんが やっぱnot for meやったわ もう味しねぇもん 劇場での「全身」体験としては悪くない
自分のうちにある不安のザワザワを楽しむ作品なんだろうね ふふっ、ごめん 不安ないわ
生活がやばい状態だと面白い気がするけど、そんな奴はアレ見てる場合じゃない 田舎のブックオフ行け、田舎の
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