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小説 『ビフォー・ユー・リープ』
昼休みは地獄。
今日もカースト上位の女子たちが勝手に机をどかして踊り始めた。ミニスカートがめくれるのも構わず、回転したり腰を振ったり腕を広げたりしたかと思えばピタッと止まる。そのダンスを、やっぱりカースト上位の男子たちが「おー」とか「やばっ、超かわいいんだけど」とか言いながらスマホで撮ってる。
カーストの真ん中の女子たちはいくつかの島に分かれ、輪になってお弁当を食べてる。時々カースト上位の様子を窺って「すごーい」と媚びながら、アイドルやお笑いの話をしてるらしい。
カースト底辺の子たちは二、三人ずつ固まってる。話し声があまり聞こえてこなくて、一緒にいて楽しいのかは謎。でも一人ぼっちじゃないだけマシかもしれない。
私は底辺どころかカーストに入ることすらできない透明人間だから、単語帳を眺めるしかない。昼休みはカーストが最も露わになる地獄。お弁当を一人で食べるくらいなら勉強してるほうがいい。惨めさが薄れるから。あえて一人を選んでるんだって周りに思われたい。どうせ透明人間だから、そんなことしても意味ないんだけど。昼休みなんてこの世から滅亡してほしい。地獄を滅亡させるのは天国に行くより難しいのかな。
「れんく~ん、動画あとで送って~」
「そだ、昨日リプモン買えたわ」
「うっそマジで。見たい見たい」
踊り終えた上位女子たちが、紙パックのレモンティーや菓子パンを手にわらわらと近づいてくる。最悪なことにクラスのカーストトップの超美人が私の前の席。来ないでほしい。お願いだからずっと踊っててほしい。
トップが席につき、脚を組みながら椅子を後ろに傾けてきた。サラサラの長い髪が私のペンケースにかかる。髪から甘い香りが漂う。トップの両サイドには、トップお気に入りの女子二人が陣取る。私の目の前にミニスカートの壁が立ちはだかる。お笑い担当の女子が冗談を言ったらしく、壁が「ウケんだけど」と笑い転げて私の机にぶつかる。その拍子に赤い暗記シートが滑り落ちた。
あ、もう本当に無理かも。
私の中の何かが終わった感じがした。反射的に立ち上がる。椅子が「ギギッ」と鋭い音を立てたけど、誰も気にしない。透明だから。もしかして底辺の一人くらいはチラッと見てきたかもしれないけど、救いにはならない。
暗記シートは拾わず、そのまま教室を出る。上履きの赤いつま先を見ながら廊下を歩き、階段を上る。幾度も行こうとしては引き返してきた屋上に、今日こそ行く。一段一段上るにつれて心臓の鼓動が速まる。足が重くなる。口の中が渇く。階段は空気がこもって埃っぽい。踊り場の高い窓から青空が見える。私が死んだら、エリザベス女王みたいに虹が出るかな。きっと出ないだろうな。神様は私みたいな人間には虹を架けてくれない。
とうとう階段を上りきった。立ち入り禁止の銀色のドア。鍵を回し、ゆっくりドアを押す……えっ、うそ、開かない? もう一度鍵を回し、再びドアを押してみる。「ぐあん」という重低音とともに、ひんやりとした空気がなだれ込む。
「うおっ、ついに来た!」
突然の叫び声。驚いて声の主を探す。秋空が眩しくて目が痛い。背の低い男子が屋上の真ん中にいる。上履きが青だから三年生。ださい雰囲気からして、きっと私と同じ透明人間だ。足元に何かある。小さなガスボンベにタケコプターがついてるみたいな……バーナー? えっ、意味わかんない。っていうか「ついに」ってどういうこと。私が来るの待ってたわけ?
構わずフェンスに向かうか、でも止められたり先生を呼んでこられたりしたら……。怪しいバーナー先輩から目をそらして悩んでいると「あのさ、あんバタートースト食べない?」と大声で話しかけてきた。
「えっ?」
やばい、思わず反応してしまった。
「……えっと、大丈夫です」
「すぐ焼ける! 飛ぶ前に食べて!」
私の声が聞こえなかったのか無視したのか、バーナー先輩はタケコプターの上に網をセットした。山型の不思議な網。リュックからPascoの超熟を取り出し、山の部分に一枚ずつのせる。私は「飛ぶ前に」という言葉にギクッとする。バレてる。言い方もムカつく。でも悔しいことに一気に空腹感が襲ってきた。お昼抜きは慣れてるはずなのに。もうお腹を満たす必要もないのに。「あんバタートースト」の響きはずるい。バーナー先輩から少し距離を置きつつ座る。
「あの、なんで屋上にバーナーがあるんですか?」
返事をしないバーナー先輩の代わりに、シュゴーと大きな音を出すバーナー。青い炎が揺れる。パンが焼ける香ばしい香りがしてきた。口の中がじゅわっと潤う。バーナー先輩はパンをじっと見つめて、時々トングでひっくり返したり火力を調節したりしている。
「焼けた!」
バーナー先輩が二枚のパンをそれぞれ紙皿にのせる。きつね色に焦げ茶の網模様がくっきりと浮かび上がってる。
「今日が一番うまく焼けた。やっぱり食べてくれる人がいるからかも」
バーナー先輩の顔がぱっと明るくなったみたい。透明人間のくせに。変な人。
バーナー先輩は粒あんのパックを開け、艶々と光る粒の大きなあんこをパンの耳ギリギリまでたっぷり塗る。小さな保冷バッグから切れてるバターを出し、「バターは多めが美味しいよ」と言って二切れずつ粒あんの真ん中にのせる。そして「はい、どうぞ」と腕を伸ばして紙皿を手渡してきた。
「あー、えっと。それじゃあ」
目の前のあんバタートーストはよだれが出るほど美味しそうなのに、私の声は相変わらずぼそぼそと暗い。誰かと一緒に何かを食べるなんて久しぶりすぎて怖い。そんな自分に心底嫌気がさす。でもバーナー先輩が大口を開けてかぶりついてるのを見て、自分もえいやとパンの角をかじる。
「わっ、うまっ」
あまりの美味しさにびっくりする。パンはカリッと焼けてるけど、中がほわほわのふかふか。ひなたぼっこみたいな良い香りがするのは、空の下で焼いたおかげ? 粒あんがとびきり甘いから、こぼさないように慎重にパンをちぎり、バターをつけてみる。甘いとしょっぱいが合わさって、無限に食べられそう。美味しすぎて、つい上半身を揺らしてしまう。今なら私も踊れるかも。もう踊ってるかも。
「あー、良かった! すっげー緊張した」
先に食べ終わったバーナー先輩が両手で顔をゴシゴシこすってる。私は我にかえって気恥ずかしくなる。
「あの、毎日ここでパン焼いてるんですか? 一人で?」
「うん。本読んだりしながら」
「先生にバレて怒られたりしませんか?」
「そこらへんはうまくやってるから大丈夫」
「そうなんですか」
あっという間に最後のひと口。このひと口を食べたら、私、飛ぶのか。
「……あの、もし迷惑じゃなかったら、明日も来ていいですか?」
待って、何言ってんの。飛ぶんでしょ。私に明日はないでしょ。
「もちろん! もちろんいいよ」
バーナー先輩が少し困ったような顔で笑う。
「でも、僕は明日からここには来ないよ」
「えっ、来ないんですか……」
バーナー先輩がこくんと頷く。
「僕ももともと君みたいに飛ぶつもりで屋上に来たんだよね。なんとなくわかると思うんだけど。そのときにやっぱりパン焼いてる女の先輩がいてさ。ほんとビビって」
「私もさっきびっくりしました」
「その先輩はピザトーストを作ってくれて。ケチャップとチーズと黒胡椒だけなのにめちゃくちゃうまくて、泣きながら食べた。そしたら先輩が『ここは君が回復して、本物の孤独を取り戻すための場所だから』って」
チャイムが鳴った。昼休みが、地獄が終わる音。でも今日は鳴らなくても良かったかも。勝手なこと言うなって神様が怒るかな。
「このバーナー、代々伝わってるらしいよ。バーナーの使い方や先生にバレない隠し方が載ってるノートもあるから置いてくね」
しみがたくさんついた、青い表紙のキャンパスノート。何年物だろう。
「怖くないし惨めでもない孤独もあるから。安心して。じゃあ僕は先に行くね、食べてくれてありがとう」
バーナー先輩が銀色のドアを「ぐあん」と開けて、階段を下りていった。
あんバタートーストの最後のひと口を食べる。甘じょっぱさが沁みる。空を見上げたら雲ひとつなくて、もちろん虹が出てるわけもなくて。バーナー先輩にろくにお礼を言えなかったから、私も明日からここでパンを焼く。
数年前に別のペンネームで書いた物語です。
久々に読み返したら「怖くないし惨めでもない孤独もあるから」という言葉にとても救われました。本当に私が書いたのだろうか…。