ZOOMでハナキン0416
先週の金曜日のハナキンについてい書こうと思います。
色々巡って来て、私のところに「乾杯の音頭」のリクエストが来たからです。
乾杯の音頭
ハナキンの「乾杯の音頭」とは、ハナキンの最初の30分間で毎回ゲストがテーマを決めて、それについて発表しています。
今まで、本当に色々なテーマのお話がありました。発表された方の実践されていること、今まで経験されてきたこと、新しいツールの話、ネパールカレーの実況中継、発表された方が住んでいる国につてなど、本当に色々なお話を聞くことができました。
学会での発表とは違い、何でもテーマにできる場なので、私自身いろいろな方の話が聞ける場としていつも楽しみにさせていただいています。
先週は、私が「乾杯の音頭」をさせていただきました。
「乾杯の音頭」のテーマについて
どんな話がいいか迷っていたときに浮かんだのが、下記のようなテーマです。金曜日の夜に、どんな話をしたらいいだろうかと考えていました。
①フィリピンでの衝撃
これは高校生のときに、ボランティアでフィリピンに行ったときの話です。
②モンゴルでの日本語教師の教育実習
これは大学のとき、日本語教師になるための教育実習先として選んでのがモンゴルでした。
③PNGへGO!!
大学で国際関係を学んでいて、大学1年のときに「Field Study Program」に参加してパプアニューギニアに行ったときの話です。
PNGの話は、BORに分かれたときに話をさせて頂きました。
国際協力の現場を知るためのプログラムでした。また、日本とPNGの歴史的な関係についても知ることができました。日本国内にはPNGの情報が本当に少ないので、実際に行くことができて良かったと思います。
*JICAの青年海外協力隊として、男性しか派遣されない国には、みなさん驚かれていたようでした。
④ウズベキスタン
今回のテーマにしたのが、ここです(^_-)-☆
2年間ウズベキスタンの大学で働いていたことについて話をさせて頂きました。
⑤日本の日本語学校
現在、日本語学校が増えている中で様々な日本語学校があります。自分自身の経験してきた日本語学校について話そうかなと思いました。
⑥ベトナムで教えていた技能実習生のセンター
半年間だけベトナムにある、技能実習生のセンターで働いていたときの話です。
⑦新規校の立ち上げ
私自身が今働いている日本語学校は、法務省からの認可をもらうところからかかわっている学校です。主任教員として、どんなことをしてきたか、新しい学校を作るための苦労について話そうと思っていました。
*数年前にこのテーマで話をしたことがあるので、知っている方もいらっしゃると思います。
「乾杯の音頭」の裏で
上記のテーマで迷っていたのですが、あまり知られていないところに焦点を当てることにしました。選んだのは、ウズベキスタンの話です。
コロナが流行する前でしたら、観光地として日本のテレビで取り上げられている国の1つです。
また、私が働いていたときの大統領が数年前に亡くなり、今は新しい大統領となったため、日本人が観光するときに観光VISAを取得しなくても入国できるようになりました。かなり観光に力を入れているようで、夏の旅行の時期にはチャーター便も飛ぶようになりました。1週間に2便(冬は1便)しか直行便が飛んでいない国でしたが、今では気軽に行きやすくなりました。
そこで発表の内容を考えているとき、あまり知られていない国だったので、国の紹介や私自身の写真を多く見て頂くようにまとめました。小さい写真も多くて、見にくかった方には申し訳ございませんでした。でも色々な写真を見ていただきたかったので、文字より写真を多くいれました。
「乾杯の音頭」が終わってからも、BORに多くの方が来ていただきました。時間がなくて見せられなかった動画をみたり、みなさんからの質問に答えながら楽しい時間が過ごせました。ありがとうございました。
ハナキンのスタートの「乾杯の音頭」だったのですが、そこに参加できなかった方もいたため、3回も話をさせていただくことになりました。びっくりしましたが、私の話に興味を持っていただいた方が多くいらっしゃったのでうれしかったです。
ウズベキスタンでの日本語教育について
ハナキンでは、ウズベキスタンという国を知っていただくところに焦点を当てていたので、日本語教育について触れていなかったので、ここにまとめようと思います。
私自身、大学を卒業してすぐウズベキスタンへ行きました。教授の紹介で行くことになったのですが、前任者がいた大学ではありません。初めて派遣するところだったので、教授も知らないことが多いところでした。
途上国でよくあることだと思いますが、上司となる方が辞めてしまうと全てが変わることがあります。私も行く大学が決まり、準備しているときに日本語学科の先生が辞められて、そこの大学に行くことができなくなりました。そこで教授の知り合いの方を通して、1年目に働いていた大学と出会いました。
1年目は首都のタシケントにある大学で、第2言語として日本語を学んでいる学生さんに教えていました。日本と同じような感じで、大学の単位を取るために日本語を選んでいる学生さんが多かったです。留学希望者は少なかったですが、中には私が帰国してから日本に留学した学生さんもいました。
2年目は、1年目に働いていたときに日本語教師会で仲良くなった先生から声をかけていただき、サマルカンドの大学で教えることとなりました。ここでは日本語学科がありました。留学希望者も多かったです。また観光地のため、ツアーガイドや旅行会社で働きたいと考えている学生さんが多かったです。
現在では私費外国人留学生として日本に来るウズベク人が増えていますが、私が働いていたときは「日本留学=国費」でした。その狭き門に、国費留学希望者が試験を受けに来ていたのを覚えています。
また、日本の日本語学校でウズベク人の受入れを辞めたと言う話も聞いたことがあります。私自身も今の学校で受入れをして、本当に大変だと感じています。
中には必死に留学して、日本で学んでいる人もいるのに、とても残念です。今の学校でウズベク人を受入れていますが、昔の教え子が通訳として手伝ってくれているのが、私自身の支えとなっています。
ハナキンを通して、ウズベキスタンのことを知っていただけましたか。少しでも知っていただけたら嬉しいです。
何か質問・聞いてみたいことがあれば連絡ください!!
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