篠山城
昼間にはデカンショ祭の準備で賑わっていた城下もすっかり日が落ち、ぼんやりとした街灯がぽつぽつと灯り始めた。
わたしの目が覚めたのは、そんな現と夢の狭間だった。
淡いあかりが一つ、一つとわたしの前を照らしてゆく。
誘われるままに足を運んでいると、耳元でうるさくわたしを呼ぶ声がした。昨日仲良くなった蜘蛛のモクだ。
「おい、おいって」
「なあに。さっきから」
「おれの家をこわしておいて悪びれもせずずんずん進むやつがあるか」
「壊してないよ。失礼だなあ」
「いいやこわした。現におまえの肩におれの家のざんがいがくっついてひらひらしてるじゃないか。なあエル?」
「うん、ぼくがさっきモクの家に遊びにきたら、ちょうどきみに家が壊されているところだったよ」
「なんだ、エルまでいたの」
一昨日仲良くなったカエルのエルが、わたしの肩にぴょんと跳び乗り、これこれ、とひらひらしているモクの家の残骸を長い中指で指している。
「うわ、ほんとだ。ひらひらしてる。ごめんねモク、全然気づかなかった。ちゃんと直すの手伝うから」
「いや、わかったならいいんだけどよ。それにおまえ糸出せないし。それよりおまえ、そんなにずんずん城の方に進んでどうしたんだ?もうそっちにあかりは灯ってないぞ」
「あれ、ほんとだ」
「それにもう門もしまってるぞ」
わたしの耳たぶからぶらりとぶら下がりながらモクは不思議そうにわたしを見上げている。
けれどわたしはそれでも足が止まらず、とうとう閉まっている門の前まで来てしまっていた。
もう夜はとっぷりと更け、モクとエルの顔も見えなくなった。
「おい、おいって」
「なあにエル」
「おれはモクだ。大丈夫か?大丈夫じゃないな。おまえの顔が見えないということは、かなりまずい」
「まずいまずい。川の音も大きくなってる。まずいよ。それにとてもしょっぱい」エルがわたしの頬をなめて言う。
「明るくなってからでなおせ。おまえはまつりに来たんだろう?」
「でも、祭はこの先でしょう?」
閉ざされた門の中から太鼓や笛の声、母親や子供の声、お酒や空の声、灯やイノシシの声がわいわいと聞こえてくる。
「それはおまえのまつりじゃない」
「くぐっちゃだめ」
わたしはそれでももっとたくさんの声が聞きたくて門に手を伸ばす。門は容易にわたしを受け入れ、わたしの手は肘のところまで門の中に入った。するとエルがだめだめ、と言ってわたしの肘を引っ張って戻そうとする。
「どうして。行かせて。行きたい。向こうにはシシもいるじゃない」
「シシはいいんだよ。でもきみはだめ。とにかく川の増水と、あと…」
「おれの家をなおしてからにしろ」
「さっき家はもういいって言ったじゃない」
「それはさっき。今はちがう」
「でもわたしは糸が出せない」
「じゃああの木の、あの枝の、葉っぱをちょっとむしってくれ。おれはあそこに新しい家を作る。けどあの葉っぱがじゃまなんだ」
「わかった。このくらいでいい?」
「もうちょっと」
「このくらい?」
「お、いいぞ。かんぺきだ。この場所なら雨も、シシの突撃も、おまえの突撃もさけられる。ありがとう」
「えへへ。どういたしまして。じゃあ…」
「つぎはこっちこっち」
エルがわたしの手を引いて川辺に連れて行く。
「これをなおしてよ。こんなに流れが早くちゃ、ぼくおぼれちゃう。それにしょっぱいんだよ」
「でもわたしは水を減らしたりできない」
川の音がごおごおと勢いを増しているようだ。
「ならぼくといっしょに踊ってよ。デカンショ節を踊ろうよ。手を出して」
「なあに?聞こえない」
エルは構わずわたしの手に跳び乗って、ぴょこぴょこと踊り始めた。モクも再びわたしの耳にぶら下がって、ぷるぷると踊っている。
仕方なくわたしもふたりに続いて、見よう見まねで踊った。
手を振り、足を振り、体を振って踊った。ふたりはわたしの肩や腰や頭に跳び乗り跳び乗り踊った。
くびをふりふり、汗はぷるぷる、息はふっふっ、はっはっ、ははは
すると川のごおごおとした音が、いつの間にかカンカラカンカラと調子の良い音に変わり、わたしとモク、エルの踊りと合わさった。
心地の良いうねりが、わたしたちと合わさった。
「ありがとう。これでぼくもおぼれなくてすむよ」
川辺にはどこから来たのか提灯たちがころころと空中を照らし、いつの間にかシシまで独特な直角踊りを踊っている。
「なんだ、シシ、来てたの」
「うん、こっちのが楽しそうだからさ、来たよ。一昨々日ぶりだね」
「おうシシ。来たか。良かったな、シシも来て」
そう言うと、モクはわたしの顔を見上げて、にっこりと笑った。
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