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『獣』‐2000字現代ホラー
床に座り日本酒を並々とコップに注いだ。
「今日は…流石に堪えたわ…」
鼻をこすりつけてくる太郎に話しかけると
太郎は内出血が浮かぶ俺の頬を舐め一言くぅ~んと呟いた。
金融会社に勤めて30年…未だ肩書の一つもない。若手社員が次々と出世し、俺は顎でこき使われる毎日…それでもじっと頭を低くして頑張ってきたつもりだった。特に秀でる物もない独り身の50代…小綺麗にしているつもりでも洋服に出来たシミや皺…鼻先で笑われた上に業務妨害に値するとまで言われボロ雑巾のように扱われる。
「今日はさ…書類の留め方だとよ…」
ホチキスの留めが甘くひらりと地面に落ちた一枚の紙…たったそれだけだ。
野崎が笑いながら奴の靴底を俺の頭に押し付けた。
使い物になんねぇー糞だと…。
ギリっと奥歯を噛み締めると
涙が次々と頬を伝う。
屈辱?…あぁ屈辱だ。
俺が何をした?何をしなかった?野崎の甲高い笑い声と共に周りの笑い声が耳にこだまする。奴の半開きの口から零れる優越感に似た嫌らしい笑み…
ボキリと奥歯が噛み砕ける音が鳴る。
耐えて耐えて耐え抜いてきた俺の人生…守るべき物が何もない俺がここまで耐える意義が何も見つからない…
くぅ~ん
「そうだな…お前が…いたな」
酒にちょこんと指を入れ太郎の前に翳すと、太郎の生ぬるい舌が絡みついた。
§
翌朝目を覚ますと、空になった日本酒の瓶が床に転がっている。
「寝…ちまったか…」
頬に手を当てると、少し腫れが増していた。
今日もまた屈辱を味わうために会社へ行く…ふっと揺れるカーテンを見つめる…と半開きのままの引き戸の外で太郎がじっと俺を見つめていた。
重い足取りで出社すると、ただならぬ雰囲気で溢れていた。
「な…何かあったんですか?」
フロアの違う女性に問いかけると
「審査部門の野崎さんっていう方…昨夜殺されたらしいんですよ…警察が今朝から会社に…」
野崎が…死んだ?
聞き耳を立てると野崎は昨夜通り魔に襲われたらしいのだが、体中引き裂かれ、喉元を食いち切られていた為「獣に襲われた」可能性が強いと警察は踏んでいることが分かった。
「園部さんじゃない?昨日踏みつけられてさぁ~」
「なんか気持ち悪いもんねあの人…」
「案外笑ったら八重歯鋭いとか」
「冴えないおじさんの中身案外狂暴だったり…」
耳障りな音がする中で、俺は初めて怒鳴られることのない日を過ごした。
帰宅すると太郎がじっと俺を居間から見ていた。
「野崎が死んだんだってよ」
くぅ~んとすり寄る太郎の頭を撫でると、窓に映った自分の顔は久々に…微笑んでいた。
「まぁ…天罰だな多分」
酒を流しながら太郎に語る俺の気分は悪くなかった。
野崎の死は気の毒だが…奴こそが人間の屑だと…どこかでそう感じている自分がいた。踏みつけられた頬が酒で少し熱い。
「同じ部署の若い女どもは俺が野崎をやったって…ったく…参っちまうよな…」
ギリっと歯が重なると
太郎は首をかしげてくぅ~んと鳴いた…。
§
次の日…俺の背筋は凍る。
またもやうちの部署から獣による死者が出た。
幸田早紀と増田紗枝…
二人とも野崎と同様に喉元を食いちぎられ夜道で発見されたのだ。
この二人は…そう、
昨日俺を野崎殺しではと囁いていた二人だった。
報道を食い入るように見る。
「2人の被害者には黒茶の獣の毛と思われるものが付着していたとの事です。夜間の外出、また付近の野犬等には十分にお気を付け下さい。不審な獣を目撃した方はこちらの番号までご連絡を…」
ふと冷たい風を感じ顔を向けると、今朝は気づかなかったが
閉めたはずの引き戸が少し開いてる。
外の暗闇に目を凝らすと、
黒茶色の太郎が闇に溶け込み
二つの眼球だけが光って
俺をじっと見つめていた…。
恐るおそる俺は戸を開け太郎を中に入れると
太郎は俺の足をペロリと舐める。
獣…黒茶…
俺の周りで殺される人…
太郎にだけ告げた事柄…
首輪に着いたタグにチラつく朱色…
血痕
「太郎、お前…」
俺は太郎を抱き寄せると…
頬擦りし…そして…
力いっぱい腕を絞めた。
太郎は喘ぎ
暴れ
そして…
やがて動かなくなった。
ぴくっぴくっと
小刻みに痙攣を起こすのは
屍
唯一の理解者を
俺はこの手で
殺めてしまった。
§
次の日人は皆、俺を避けていた。
昨日と同じ服装のまま、太郎の涎の沁みついた袖には獣の毛がベットリへばり付いている。
もう仕事なんて…どうでも良くなっていた。
「くさっ!」
「汚っ!」
「なんかやばいよ…」
こんな奴らの為に太郎は…
ガゴリッ
俺の奥歯は口内で粉々になった。
§
朝一のニュースは大量殺人で持ちきりだった。
会社の審査部全員が死んだ。
皆 獣に食いちぎられて…
寝室に目を向けると
太郎の亡骸が横たわっている…
太郎じゃ…なかった…のか?
後悔と悔しさ、怒りが荒れ狂った波の様に押し寄せる。
うおぉぉぉ!!!!
もつれた足を太郎の元に運ぶと
押し入れの中でゴトッと音がした。
金属でできた刃の様な入れ歯
血が滴るそれが
血に染まった俺のスーツと共に
床にぼとっと転がった…
それを目にし、
太郎の亡骸と共に 鏡に映った俺は
嬉しそうに
笑っていた。
(2025文字)
いぬいゆうたさんが こちら『獣』を朗読してくださいました!!!
音で聞くホラーはまた一段と素敵です:)。
主人公の哀愁を素晴らしい声で演出して届けてくださったいぬいさん。いぬいさんの声でゾワッと感が増した『獣』是非ともお聴きください:)。
いぬいさん ありがとうございました!!
こちらの企画に応募させていただきます:)