その背中をみていた #2
夫は数年前、ふらりと出て行ったまま、消えてしまった。
21で知り合い、29で結婚した。子どもも産まれて8年過ぎた時のことだった。
8年間私だけ幸せで、私だけが気がつかなかった。夫が少しずつ壊れていたことに。
日常が彼を壊していくなんて考えたこともなかった。私たちの生活の裏で、父親として、夫としての重積は膨れ上がって、予定していなかった二人目の妊娠がわかったある日、弾けた。
あんなに穏やかで冗談が上手だった夫が、暴れて、部屋にこもり、ベッドの下によれよれの洗濯物や飲み終わったお酒の缶を溜めるようになった。部屋からでてこず、家のことも手伝わなくなった。
仕事から帰宅するのを待って話し合おうとした。お腹の子どもはどんどん育っている。
帰ってくると足早に部屋に籠もろうとするので、ドアに思わず手を差し込んだが、そのまま何度もバンバンとドアを叩きつけられ、思わず手を抜いてしまった。指が腫れ曲がらなくなった。
そのうち電話にもメールにも返信をしなくなり、かろうじて夜は家に帰るものの、いつ戻るかどこにいるのかもわからず、私は無理がたたって出血をした。
病院に行かなくちゃ、赤ちゃんが危険だ。でも上の子はまだ小さい、連れていくことができない。
考えること、決めなくてはいけないことが怒涛のように一度に押し寄せて、判断ができない。飽和状態だった。少しも隙間がなくて息ができない。溺れそうだった。上の子はあまりのことに泣き出している。
こんな現状になるまで転がるようにあっという間の出来事で、何が起こったのか自分でも理解できなかった。もちろんそんな状態で友達や親にも相談できなかった。
もう何ひとつまともな判断ができなくなっている気がした。
自分はこんなに何もできない人間だったろうか。
のろのろと立ち上あがり、子どもを連れて病院に行った。
検査を受けると赤ちゃんは無事だったが、先生に「栄養が足りなすぎているからなんでもいいので食べて。入院する?」と言われた。
入院しても、夫は上の子どもの世話はしてくれないだろう。
「もう少し様子をみます」と言って、病院の硬い椅子で眠ってしまった上の子を抱いて家に帰った。泣くことすらできなかった。
タクシーの中で眠ったままの湿って暖かい我が子を、膝に乗せていた。抱き上げると私の体のカーブにフィットして、隙間から何かがこぼれて行かないように、抱く手にぎゅっと力を込めた。
このままではいけない。私も子どもも夫すら壊れてしまう。
ある夜、なんとか話そうと帰ってきた夫の前に立ち塞がった。
「なにがそんなに腹立たしいの」と聞いた。
夫は、イライラとした態度で、「僕は、好きだった音楽をしたり、朝もギリギリまで寝て、結婚をしていても自由恋愛をしたかった。こんな生活はまっぴらだ!」と叫んだ。
私は「なにそれ」と言うしかなかった。自由恋愛。なにそれ。
「君となら、今までにないダイナミックな夫婦になれると思った。だから結婚したのに!二人目?もう一度同じことをやるのは耐えられない!」と怒鳴った。今にも殴りかからんばかりだった。
間抜けなことに、私の口から出たのは「ダイナミックな夫婦ってなに?」だった。
そして猛烈に腹が立った。
だったらなぜ私と結婚をしたの。私は事実婚でいいと言ったのに。
どうしても結婚しようとあなたが言うから、私もその中で幸せを見つけていこうと思ったのに。
子どもだってあなたが望んだことでもあるのに。
私にもやりたいことがあった。したい仕事もあった。
それでも子どもを授かり、週末のたびに家族で公園にでかけたり、新しくできたお店をのぞいてみたり、小さな幸せを繋ぎながら、できる仕事を見つけて、出産で遅れた分を取り戻せるよう少しずつ毎日を歩んできたのに。
そして同時にわかった。唐突に理解してしまった。
夫は、私と結婚することで変わりたかったし変わるべきだと思ったのだ。
やりたいことやしたいことはたくさんあり、でもいい年だし、結婚をすれば、子どもが生まれれば、自分は「普通」に紛れていけると思っていたのだ。
でも変われなかった。
毎日の読み聞かせも、パパ友も、ママチャリでの保育園お迎えも、全部嫌だった。そんな格好悪いこと、自分のやりたいことなんかじゃなかった。
だから怒っているのだ。
お前が悪いと私を責めながら、今の状況を招いた自分自身に。
目眩がして、静かに目を閉じた。
私の考えは間違っているのかもしれない。でも、そうだとしてなんだと言うのだろう。夫とこれ以上何か気持ちをすり合わせるのは無理だと思った。
黙った私に溜飲が下がったのか、夫は私に一瞥すると自分の部屋に入って行った。
夫はしばらくすると姿を消した。
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