教員の持つ無自覚な目標が教員自身も子どもも傷つけることがある
【想定している読者層】
・教員の関わりに違和感を持ったことがある方
私の見解
・教員は、無自覚的に、もしくは執拗なまでの執念的に、あるいは教員として生き残るために、「役に立たない目標」を持っている事があります。
・それを捨てると「子どもも同僚もどうでもいい」となる可能性がありますが、私としてはさっさと捨てた方がいいと思います。
教員と会話するとなんか高圧的
教員が持っている「隠れた目標(=役にたたない目標)」は色々あります。
①教員は親のようなものであり24時間営業だ
②教員はどの子も傷つけるべきではない
③教員はどの子も卒業させるべきだ
④教員は人として立派でなくてはならない
ごく一例ですが、こんな感じですね。
これ、実現不可能ですよね。
だから役に立ちません。
ちなみに、教員の中には、
意識的には①を否定していても、無意識的に①に賛成している。
そんな人もいます。
つまり、
できることならそうしたい、と思っているかも
と言う事です。
教員以外が感じる教員への違和感
例えば、
「自分は立派でなくてはならない」と思っている
教員がいたとします。
それは、「あなたよりも立派」という意味にすり替わり、
「保護者よりも立派」「同僚よりも、子どもよりも立派」となり、
いつの間にか、自動的に「立派な人」という自己意識が完成します。
これをさらに補うのが、
教科の専門性、教育心理の専門性、校内における立場、経験年数です。
「同意を得られない個人的根拠のある自信」が生み出されます。
これは違和感の正体として、ひとつあると思います。
そして、こういった自信をこじらすと
勉強しなくなりますので、よくわからい人になっていくわけです。
私はこう思います。
・立派な人でなくていい
・仕事を淡々として
・余計なことをしないでほしい
教員がきっかけである不登校は、
当然、教員の問題ですが、
「隠れた目標」が悪さをしている可能性があります。
卒業させるべきという名の傷つく準備
この目標「卒業させなければらない」
を無自覚的に持っている教員は結構多いと思います。
「まずは一年間乗り切る事」とか形が変わっているかもしれません。
どんな形であるにせよ、この目標は
「傷つき」の温床です。
自分の首を自分で絞めています。
学校から退場するのであれば、それを確認はするにしても
無理矢理止めると、お互いに非常につらい思いをすることがあります。
初期段階で、退場に反対するのは、親や同僚です。
当然、本当に当然のこととして、親は心配しますよね。
だから親とも確認しないといけませんね。
当然、同僚も色々思いますよね。
「お前の能力が低い」って言う同僚もいれば、
「本人の意思を尊重しよう」と言う同僚もいます。
私は、学校から退場しないに越したことはないと思っていますが、
退場自体を問題だとはあまり思っていません。
同意や理解を得ながらきれいに退場してください。
ただ、周囲の同僚の多くの心象は悪いでしょう。
だから同僚とも確認しないといけませんね。
私の傷つき体験
私の経験上、本人の退場を止める手段は、ほぼありません。
これを引き留めたこともありますが、
それはとてもとても辛い目に遭いました。
単純に、孤立しました。
本人の意志が変わる事はあまりありませんが、
親や同僚の意志は意外とかわるものなのですよね。
それはいいことなのですが、
それで混乱してしまったことが何度もあります。
「前に言ってたことはどうなった!?」
「覚えてないの?」「なぜ急に!?」という感じで。
この時、私は「余計なこと」をしていたのでしょうね。
別に誰が退場したっていいんですよ。
私はこの時、子どもの味方になっていたつもりですが、
子どもの顔があかるくなったことはなかったと思います。
悲しいです。
「隠れた目標」を上手に捨てよう
隠れた目標は、自分自身に分かりやすい形で
仕事への熱意を生み出します。
ただ、自分が傷ついたり、他人を傷つけたりすることが
おおいにあります。
教員に限った話であるのかは分かりませんが、
仕事に追い詰められている時、
「役に立たない目標」を持っているかどうかは、
振り返る視点として使えるように思います。
目の前の子が元気であればそれでいいんですよね
「元気」というのは、明るくとは全く違います。
一人で暗くいても「元気」であることはあり得ます。
そこで、「友達はどうした」と言うと
傷つけるわけです。
別にいいんですよね。
なので、
いかに、「引き算するか」が
教員に問われています。
挨拶するだけで全員が幸せになるような
魔法の教員は、どこかにいませんか・・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。