書き続けて行きたいからこそ、大事にしたいこと
先日こんなつぶやきを送り出した。
毎日投稿は手放してはいるけれど、やはり【何かしら書かないと】気持ちが悪い。
でも時間と体力が足らないのでつぶやきに託した。書くことは私の一部になってきているのだなと感じられる。おこがましいかも知れないけれど。
このつぶやきを書くことになったきっかけがある。
先週、私の習っているベリーダンスの先生が出るイベントを観に行ったのだ。
先生以外にも県内で有名な踊り手さんが沢山出るから、楽しいよと。日中でしかも夫が休みだったのもあり、子供たちを託して観に行くことにした。
あいにくの土砂降り。平時なら車で40分くらいのところ、1時間はかかった。
しかも道路が混んでいて、いつもあまり遠くまで運転しない私には中々辛い道中となった。
おまけに気圧のせいか体調も良くなく、だるい体で安全に気をつけながら必死に運転をした。
ドーピングにユンケル皇帝Lを使用。
会場に到着。道の駅施設のオープンスペース(屋根あり)。前日にローカルTVでの宣伝があったとのことでなかなかの客入り。いい感じだ。
先生の舞台。いつもお手本程度にしか先生の踊りを観ていなかったので新鮮さと、自分のための振り付け曲でのダンスはやはりいいものだなと感じる。
妖艶なのに上品なのが先生の強みだなと改めて思う。
妖艶と上品。それを両立させられるなんて最強じゃないか。
先生の生徒さんたち(私の通うクラスではない)の、自分が今習っているダンスを観る。
可愛く感じるも、舞台だといささか動作がよくわからない。
熟練者とそうでない者の差はここにあるのかとむぅ・・・と悩ましく思った。
舞台も狭いのか、動きづらそうなのも気になった。
それでも舞台に立って踊り切った彼女達の心意気にたくさんの拍手を送った。
身内の出番が終わったので、あとは二組位観て帰ろうかと思い次の人たちを観る。
ここで私はすごい人たちと出会った。
ベリーダンスの中でもアメリカ生まれの【トライバルダンス】を踊るダンサーさん。
私が今習っているベリーダンスと少し違って、ソードを使ったりより力強さやかっこよさを全面に打ち出したジャンル。大地に根差したとも言えるだろうか。
音楽が鳴り出して、彼女達が動き始めると会場の空気が変わった。
軽い気持ちで観ていたはずの観客達の視線が舞台の彼女達に釘付けになり、引き込まれていくのがわかる。壇上からも客席からもエネルギーが強まるのを感じた。
客席がダンサー達の一挙手一投足を見逃さないように集中しているのがわかる。
大袈裟なのかもしれないが、神に捧げる舞踊とはこんな感じであろうか。
変幻自在に動く体からとてつもないパワーが巻き起こる。
力強く踏み込むステップ、胸部と腹部が独立して違う動きをする。指先まで美しい。
ダンスってすごい。
最後、ソロのダンスが終わったあとは大喝采。
【会場が沸く】とはこのことかと痛感・・・。日本語も普段使わないような言葉がたくさん出てくる。
客席で観ていた私と同じ教室で学ぶ知人は『すごいねー、すごいねかっこいいねえ』と興奮して語った。
あんなにかっこいい踊りがあるのだろうか、と興奮がおさまらない。
彼女達が場を熱くしたおかげもあり次の踊り手さん(これまた艶やかで美しいダンサーさん。女性らしく滑らかで艶っぽさを売りとした、一つ前のダンサーさん達とはジャンルが大きく異なる方であった。)の出番もこれまた大盛り上がりであった。彼女もまた熟練の技術を大いに発揮し壇上から降りてきたりして、場を自分の世界へと巻き込んでいた。
華やかなベリーダンスの世界を覗き見て、【ライブ】ってすごいなあ・・・・・としみじみ思う。
自分が生きていることをまざまざと教えられているような気がした。
踊り手さんたちの熱気も、会場のエネルギーもそこにいなければわからない。
経験しようがないもの。
まだ独身だった時にEGO-WRAPPINのライブに行ったことがあるけど、
あれもすごかった。プロの歌手というのは天命なのかもしれないと思う声とサウンドだった。
ちなみに私は良い音楽とか良いダンスとかすぐ泣く。すぐに心が動いてしまうのだ。東京ディズニーランドのショーで高確率で涙ぐんでいる。
私にとって【生の舞台】に触れること。
自分がそこに行って実際に経験をしてみること。
芸術でもスポーツでも、自然でもなんでも。
iPadの画面だけでは、経験し得ないもの。
書き続けて生きていきたいからこそ、大事にしていきたいと思った。
(キヨミ@沖縄国頭村さん、美しい写真お借りしました・・!)
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