帝王切開レポ:双子が生まれた日を思い出してみた
今から約4年前、一生忘れられない「双子を産む日」はやってきました。
生きてくれていた…感謝の気持ちでいっぱいだった日。ずっとずっと会いたかった双子に会えた日。
月日は流れまもなく5歳の誕生日を迎えます。元気に成長してくれてありがたい限りです。
今日は日記にメモ書きしていたものを再編集して書いていこうと思います。
30週から切迫早産で入院スタート
幾度とないお腹の張り、血腫により体調がすぐれない日が続いていた妊娠中。不安で不安でスマホ片手に検索ばかりの日々だった。
そして迎えた30週の検診。
モニターをつけて心拍数と張り具合をチェック。
30分間に何度か張りが確認されたのと、頸管が30ミリを切っていたことから、その日から管理入院になった。どちらも1300g超えで、二人の体重差はほぼ無くTTTSの兆候はなし。
35週と5日でお腹は限界
重いお腹をさすりながら寝てばかりの入院生活が始まった。同室には双子ママも数組いた。高血圧、胎児の発育不良、胎盤異常などみんな色々な妊娠トラブルを抱えての入院だった。
そんな時、血液検査で肝機能障害が発覚…。1週間単位で様子を見ても数値はどんどん悪くなるばかり。
主治医の見立てによると、おそらく張り止めのウテロン点滴が肝臓に負担をかけているのが原因とのことで、点滴を少しずつ下げて最後はすべて切ることになった。
しかし、全部点滴を外した夜、もれなく頻回の張りが発生。
「張り替えし?」としばらく様子を見たものの、寝ていても5分おきに張り続けるお腹。これはいつもと違うぞとナースコールを押した。
夜中にも関わらずバタバタとナースと当直の医師が来てくれた。
NSTモニター付けてみると、ギザギザの曲線で胎児は元気そう。しかし、
・赤ちゃんの心拍がやや低下気味
・ウテロンを切ってるのに肝機能数値が上昇
つまりこのまま放置すると危険、週数的にももう長くお腹に留める理由も無い、との診断結果だった。
朝まで待って人員が確保できる昼間に緊急手術となった。
ついに「出産」来たよ
ウテロンからさらに強力なマグセントを20速マックスで流すことになったので、体はフラッフラ!!
体全ての筋肉を弛緩させるため、驚くほど全身の力が入らない。トイレに行くのも支えが必要なんて情けなかった。
しかしやはりお腹の張りは治らず、双子が元気なうちに手術は決行することになった。
手術の1時間前に剃毛し、点滴ルートの確保、そして手術着に着替えて最後のトイレタイムへ。
お水も飲めないので唇と口の中はガサガサ…。リップを用意しておくといいですよ!
いよいよ手術室へIN
夫や母が見守る中、時間になり手術室へ運ばれると、チームの先生たち、助産師さんたち、新生児科の先生たち、看護師さんたち、麻酔科の先生など総勢10名以上がズラリ。
先生たちの表情を見るとまったく焦っている様子はないので安心できた。
手術台に移動した後は、お腹を丸めて背中を向けて脊椎麻酔を打たれた。頭が変なテンションになっているせいか痛みや恐怖はほとんどない。
麻酔科の先生に「肩は冷たいですか?お腹は冷たいですか?」と聞かれ「冷たいです!!」と連呼する私。しばらく経つともう両足は動かなかった。
帝王切開術スタート
そうこうしているうちに「帝王切開始まります、お願いします!」と突然先生が叫んだ。
正直「まだだったの?」と軽いショックを受けながらも緊張が走る。ついに腹を切るのだ!
ところが待てど暮らせど切られているような感覚はないし、痛みもない。
ただ、グリングリンと何やら引っ張られる感覚があり、気持ち悪い感じ。
恐怖を紛らわすために、頭の近くにいた麻酔科の先生に、「いつ赤ちゃんでてきますかね?」とかテンション高く質問を繰り返した。
入室してからここまでで30分ほど経過。
誕生の瞬間
2人が出てくる瞬間は産声で分かった。姉がほぎゃあ、続けざまに妹がほぎゃあと泣いた。「そうか、双子だから二人泣くんだな」と夢のなのか現実なのかなんだか分からない。
先生が「1番ちゃん、2番ちゃん(双子はこうやって呼ばれることが多いらしい)」と交互に二人の顔を見せてくれたので「無事に生きてた」と心の底からホッとした。
在胎35週5日、よく狭いお腹の中でよく頑張ってくれたなぁ。
娘たちは1960g 2050gで産まれたが、体重をもう少し増やすために、しばらくGCUでお世話になることになった。
妊婦のパースプランなどはない総合病院での出産、さらに緊急手術だったが、手術中はなぜかJUJUの音楽が流れていた。JUJUのハスキーボイスとともに双子は産まれた。
トラウマになった術後
手術日の夜から次の日にかけてが地獄の始まりだった。
悪露を溜めないために、患部に氷を乗せて上からギューギューとナースに数時間ごとに押されるのだが、帝王切開でこれが一番辛かった。
もちろん個人差は絶対あると思う。
次に術後初めての歩行訓練。
ベッドから降りて30歩足踏みするまで3時間かかった。 傷跡が痛いというより、内臓全体がプルプルと震えているような感覚があった。
私があまりにも大げさに痛がるので、ナースも先生も「ええ??なにこの人」という表情を浮かべていた(ように見えた)。
「双子ちゃんにがんばって会いにいきましょう!」と誘われるのだが、もう正直放っといてほしかった。こっちは死ぬほど痛いんだよ。
あれほど腹を押されたのに退院診察では「悪露がまだ残ってる」と言われる始末。子宮復古不全といって、内容物が子宮に残っているんだとか・・。
どうりで痛みの割に出血が少ないと思った。
ググると出ない場合は掻き出す処置もあるらしく、一ヶ月検診が怖い(これまた地獄だった)。
双子の様子
出産後はGCUにてしばらく保育器で過ごしていた双子。
手厚いケアのおかげで数日後には妹はコットに、数日遅れて姉も出てこられた。
新生児担当の医師の診断では、心拍も呼吸も問題無さそうで、体重が増えれば退院できるとのことだった。
出産して翌々日から3時間ごとに搾乳し母乳を届けにGCUへ。
GUCには総勢30人ほどの赤ちゃんがいたけど、うちの双子は一段と小さく見えた。それにいつも二人は寝ているばかり。なんて声をかけたらいいのかも分からず「ママだよ」というのも小っ恥ずかしかった。
早くプクプクまるまるになって欲しいなぁ…と思いながら、このときは子育てのイメージは一切できていなかった。
生後3週間で退院
私は1週間ほどで退院できたものの、双子は吸う力がちょっと弱くてなかなか体重が増えず、結果生後3週間ほどかかって退院できた。
清楚な白いレースのおくるみに包まれた双子を私と夫がぎこちなく抱っこ。
今思うと真夏なのに分厚い布切れでぐるぐる巻きにしてしまい、娘たち暑かっただろうなぁ…。
親バカだけど、どこからどう見ても可愛くて天使にしか見えなかった。産後ハイも手伝って「私は双子ママよ」オーラを出しまくっていたかもしれない。
「これからが大変よぉ~」とたくさんの人に声をかけられるものの、どう大変なのか、まったく予想できない。
唯一分かるのは、ほとんど眠れなそうということだけ。
それから大切な新しい命を預かっているということ。責任重大なのだ。
まあ、妊娠中と違って自分の体が動くので何とかなるでしょう!
なんて、この時はとにかく周りがキラキラ輝いて見えていたのだった(新生児期〜死闘編〜に続く?かも)。
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