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親の心子知らず

飴、ガム、チョコレート。
子供なら誰しも大好きなお菓子だが、幼少期の私にとっては
憧れの存在だった。中でもガムは、絶対に口にすることができない
夢のお菓子である。

私の母は、虫歯に悩まされてきた人生だった。後になって聞けば、
母が育った家庭では夜に歯磨きをしない習慣があったそうで、
そりゃ虫歯になるのは至極当然のことだろう。
だからこそ娘には歯磨きを徹底し、さらに甘いものを一切食べさせない
ことにした。
虫歯に悩まされることの無い、健康な歯にしてやりたかったからだ。

おっかさん。
それならば、子供が1歳7ヶ月~2歳7ヶ月の間に
あなたの虫歯菌が移らないように配慮することが一番大切ですよ。
と現代ならアドバイスしてあげたいが、この時代、
そんな情報は無いに等しい。

従って母は愛娘の歯を守るべく、徹底的に甘いものを禁止した。
母が用意してくれるおやつは、
草加煎餅と牛乳。おかきと牛乳。小魚と牛乳。
子供が大好きな飴、ガム、チョコレートなど食べさせてもらえなかった。
中でもガムは、絶対禁止の食べ物だった。

私は、一度で良いからガムを食べてみたかった。
近所の幼馴染は、みんなガムを食べていた。クチャクチャと音を立て、
フーセンを膨らませ、美味しそうに噛んでいる。そして、それを
いつまでも噛み続けている。ガムはなぜ、口の中で無くならないのだろう?

あぁ。ガムを食べてみたい。
どんな味がするのだろう?
噛んだ感じは、どんなのかな。
ガムに対する私の憧れは、日ごと膨らむばかりであった。

ある日、いつものように幼馴染と遊んでいると、地面にガムが落ちていた。あれ?この黄色いガムは、昨日幼馴染が美味しそうに
クチャクチャしていたものだ。

私は心臓がドキドキしてきた。

どんな味がするのだろう?食べてみたい。
いや、だめだ。落ちてるガムなんて汚い。しかも砂が付いてる。
でも、食べてみたい。いや、ダメだ。

5歳の少女は、心の中で何度も葛藤した。
その結果、好奇心に軍配が上がった。
少女はドキドキしながら、誰にも見られていないかを確認し、
ガムを取り上げた。
そして砂を払い、一気に口の中に入れた。

ジャリ!!!
初めて食べたガムは、砂の味だった。
でも、ほんのり甘い。砂をぺっと出しながら噛んでいると、
噛むほどに甘さが出てきた。

おいしい。。。
少女は、頬が緩むのを抑えられなかった。
喜びでテンション高く遊んでいると、
母親が鬼の形相で家から飛び出してきた。

「奈々!ガムを出しなさい!」

心臓が止まるかと思った。
なんでバレた?

犯人は、3歳の妹だった。私の秘め事の一部始終を見ていたのだ。
「お姉ちゃんが、落ちたガム食べてるー。」
妹は、無邪気に母へ報告をした。母は怒りのあまり鬼婆へと化した。

バチーン!
いきなり頬っぺたにビンタを食らわされた。
「うわぁぁぁぁん。」
私は号泣したが、そのまま家の中へと引きずりこまれた。

「何で落ちたガムなんか食べたん!?」
バチーン!
バチーン!
バチーン!
母は、私の頬っぺたをぶちまくった。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」
ぶたれながら泣きじゃくる私を見て、思わず父が動いた。

「奈々を叩くな!奈々を叩くな!」
娘を庇うように抱きしめ、鬼婆に背を向けて自らが盾となった。

「どいて!」
「どかへん!もう叩くな!」
「うわぁぁぁぁん!」

まさに地獄絵図である。

ここで母のためにフォローをしておくと、
虐待で叩きまくっているわけではない。
子供に対する愛情の深さゆえ、本人としては『しつけ』の一環である。

さて、父が間に入ったことで、母は少し冷静さを取り戻した。
父の勇気ある行動のおかげで、あと100発くらい殴られるところを
殴られずに済んだ。
しかし思い切りぶたれた頬っぺたがジンジン痛い。
拾い食いの代償は、あまりにも大きかった。

ところが、悪いことばかりでは無かった。
この事件をきっかけに、我が家に新しいルールができたのだ。

新ルール。
毎週水曜日を『ガムの日』と定め、
この日だけはガムを食べて良いこととする。
私の拾い食いがバレたおかげで、改革が起きたのだ。

初めての『ガムの日』。
母と一緒に駄菓子屋さんへ行き、妹と二人でガムを選んだ。
今でも覚えている。初めて買ってもらったのは、
白く糖衣された上に可愛い猫の絵がプリントされている
四角い小さなガムだ。
帰宅してから母が袋から出し、私と妹に手渡してくれた。

誰も噛んでいない、新品のガム。私のガム。
私は嬉しすぎて、思わず顔が綻んだ。
ガムをひと粒、丁寧に口の中へ入れた。それを噛んだ。

美味しい。
世の中に、こんな美味しいものがあるのか。

「もう、落ちたガムは拾ったらあかんよ。」
母が笑顔で言った。
「うん!」
私も笑顔で返した。
初めてのガムの日は、みんなが笑顔になり、幸せな思い出となった。

そして今、私は虫歯に悩まされている。
歯をキチンと磨いているのに、虫歯ができるのだ。
これは、母から譲り受けた虫歯菌のせいなのか?
はたまた、甘いものを食べたからか?

いずれにせよ、虫歯は痛いし辛いものである。
この思いを、娘にだけはさせたくない。娘には甘いものを禁止しよう!
そう思った母の気持ちが、娘を持つ今となって、
とても理解できるのである。


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