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『車いすレストラン』 同じマイノリティ側でも

「二足歩行障害」

その聞き慣れない言葉に、吸い込まれるように意識を持っていかれた。

NHKの「おはよう日本」に流れる映像を、まだ覚醒しない頭でぽけっと見ていたとき。習慣の朝コーヒーを飲みながらスマホをイジりニュースをみる。そんないつもの朝。テレビではバリアフルレストランの紹介が始まって、触っていたスマホをいつの間にかテーブルの上に置いていた。

バリアフルレストラン、それはいつもは健常者の立場にいる人達が「二足歩行障害の人」と呼ばれ、車いすの人が多数派側と設定される空間。そんなふうに逆転した世界を体験することで、社会にある問題への気づきになることを伝えていた。映像からでも二足歩行の人の窮屈そうな、居心地は相当よくないだろう様子が伝わってくる。障害は社会が作り出すと聞くそれを、こういうことなんですよと立場逆転の世界が教えていた。学校の8割の子が発達障害だったなら、もっと配慮に理解があるんだろう、配慮を通り越して学校の仕組みが変化するのかもしれない。そう思っているわたしは、このレストランにワクワクした。そんな想像する世界が現実だったら、この車いすレストランのように逆転社会がほんとうになって息子は多数派になり障害者ではなくなるんだ。そうしたらこの世の中は発達障害の人が生きやすい環境へと作り変えられていくんじゃないか。この二足歩行障害と同じで、今度は生きづらさを抱えるのは障害とは無縁のところにいた健常者の方になっていく。そうなったら。次は健常者の人達が立ち上がり、生きづらさを訴えて理解を求めていくのかもしれない。

この世の中、息子のような少数派は生活しにくい。息子が産まれて障害児の親になってみて、社会は多数派が多数派の生きやすいようにつくられているんだと思い知った。できないところは配慮してもらう、許してもらう、助けてもらう。そうやって生活していても、「がんばれば何でも乗り越えられる」「社会に出たときに困るから厳しく言う」そんな精神論やこうあるべきを熱く語られることもある。そんなの普通でしょ?の「普通」さえ多数派にとっての普通だったりするのだから、その「普通」に当てはまらないこともあるのに、それにも気づけない場合も往々にしてある。

「では具体的にどうすればいいか教えてください」そう言うと、黙り込んで答えを持ち合わせていなくて、さっきまでの熱量はなくなって、とたんに静かになったりする。マイノリティ側の生きにくさを知らずに、それはおかしい普通はこうだと堂々と言う人はわりと珍しくないようで、そういった偏った考えが積もっていって差別や偏見という形に変わるのは危うい。もちろん良くない。

そこまではいかないけど正しく理解してもらえない、つらさを分かってもらえない、こうだったらできるのにを分かってもらえない、できることでもやらせてもらえない、ゴールの設定がうんと低い、可哀想じゃないのに憐れみを受ける、そんなことでも悩みは追ってくる。同じ少数派でもそう。わたしは、車いすの人達はもっと暮らしやすくなっているんだろうと思っていた。勝手に思い込んでいた。
息子の障害を近所の人に告げたとき、
「うん知ってるよ発達障害のこと」と言われ安心したのも束の間、
「ママとは目が合うの?わたしとは目が合わないんだよね、この子」
そう言われて、ちょっとわたしが面食らって頭がクラクラしそうなときに、それはね聞いたことがあるだけで全然知らないってことなの。分かってないってことなの。あなたは発達障害のことを知らない人と同じだよ。そう思った自分は、車いすの人の日頃感じている生きにくさを想像できるよ、分かるよと思うことと何が違うだろう。同じ少数派の側だからわかる、健常者には分からない苦しみも同じこちら側の立場にいるから分かるんだと勝手に思っていたんじゃないか。何に困ってる、もっとどうしてほしいとか、そういったことは車いすユーザーにしか分からない。発達障害の悩みもそうで、同じ障害で苦しんでいる人でさえ聞いてみないと分からないことだってよくある。だから多数派も少数派も少数派同士も、みんなが共生する社会をみんなで考えていくことで、思いやりが持てたり耳を傾けたり、余計な一言を飲み込んだりしてお互いに暮らしやすくなるよう願っているんだと思う。

先日スーパーの会計待ちのとき、わたしの前に電動車いすの人が並んだ。買い物かごをこれでもかと山盛りにするわたしと違い、足の上に乗せたかごにはあまり品数は入っていなかった。憶測だけど、足の上に乗せても車いすの移動に支障がない量や重さを調整してるんじゃないか。わたしの背ならどの棚も手が届くけど、この人は手が届かないものも多いだろう。届かないものはどうするんだろう、諦めるのかな。もし全ての商品が車いすに乗っていても届く位置にあったなら、もっと通路が広かったなら、もしそうだったら今よりはハードルが下がって買い物がしやすいんじゃないか。トウシロウのわたしでもそんなことを思うんだから、当人だったらもっと言いたいことがあるのかもしれない。

「障害は社会がつくる」

これはほんとうにそうなんだと思う。少数派側の人達はたまたま少数派だっただけ。多数派にいたとしても、生きていれば少数派側になることもある。

多数派の人たちは、たまたま多数派側だっただけ。どっちが少数派になろうとも、生きやすいと思える未来がこの先やってくることを信じたい。


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nanam|なな
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