育児目標はカップ麺
明けましておめでとうございます。
年が明け2023年がはじまりましたね。
去年の12月に始めたこのnote、丸1ヶ月が経ち不定期ながらに更新できていることを嬉しく思います。
今年も自分の思いをつらつらと綴っていこうと思います。おつきあい頂けると喜びます。
さて、お正月も三が日を過ぎると、あっという間に通常の生活に戻るものですね。あれそういえばこれは昨年のこの時期も同じように思っていた気もします。
今日は1月も4日となり、既に令和5年はスタートしているわけなので、今年の目標を年始に決めた方も多いのですよね。コロナ禍の世の中が丸3年となり、健康で過ごしたいという願いは誰しもが往々にしてあるなかで、今年はこんなことができたらいいなという抱負があるのは生き方にもハリが出るように思います。
わたしには発達障害の息子がいるのですが、発達に凹凸がある息子は定形発達の子ならすぐにできるようなことでも時間がかかることが多く、先の将来を思うと親ならではの不安が付き纏ったりしています。
しかし10余年も経つとわりと何でもこなせるようになってきて、この子は身の回りのことなど何もできないのではないだろうかと心配が渦を巻いていたあの頃には、とてもじゃないけれど想像できなかったことをやってのけたりするのです。
その一つに、冒頭のタイトル『育児目標はカップ麺』があるのですが、これはわたしが不在のときや病気で寝込んでいてご飯が作れないときに、空腹を凌ぐためにカップ麺を自分で作って食べられるようになって欲しいというわたしの育児目標でした。
何を言っているのかと、カップ麺なんてお湯を沸かして注ぐだけではないですかと思うことなかれ。無事に麺が喉を通過するまでにはいくつかの工程があるのです。
そういうわたしもこのくらいできるだろうという安易な考えがあったことをここに懺悔するのですが、お湯が湧いたらカップに注いでねと伝えるもお湯が湧いてもカップのフィルムを剥がしていなくてどうしよう、お湯が跳ねてビックリしてなんか怖い、カップを持ったら熱くて、こんなの聞いてないもう無理ねえお母さんやって、となりました。
カップ麺を食べるという道のりは、凡人には考えつかないほどに険しいことを知ったのです。
あまり無理にやらせてしまうとカップ麺を作ることは苦手なことにしておきましょうと、やりたくないリストの仲間入りを果たすので、そうなるともっとややこしいことになり、僕は二度と作りませんという
『生涯自分は自分で自分のカップ麺を作りません宣言』
をすることになりかねない。
それはまずい。
わたしの密かな目標が崖崩れを起こしてしまいます。
その時もカップのフィルムはわたしが剥がし、お湯はほとんどわたしが入れたし、ダイニングテーブルに運んだのはわたしだし、大体わたしがやったのです。
だからこそここから挽回するわけなのです。
「初めてなのにあんなに熱いお湯を(ほんのちょっとだけど)注げたのは凄いことだよ」
初めてなのに上等だよと、それはそれは褒めて褒めて褒めるのです。
言葉をそのまま受け取ってくれるのは息子の純朴な長所なので、満更でもない顔をわたしに見せてくれました。
こういう場合に、できれば早いうちに同じ状況を作って成功体験を積むといいのですが、少し間が空いてしまってさあ今回はどうかなと思ったのですが、わたしが横で同じ作業をすることにして、お手本もあってか二度目の「自分でカップ麺を作って食べる」をなんとかやり遂げることができたのです。
一人で作って食べることにまた一歩近づいた息子。
「すごいじゃん、やるね完璧だね」
息子は褒められると安心するタイプなので、勿論のこと褒めたのです。
ほっとしたような、だけど嬉しさも滲んでいて、カップ麺を食べるという小さくも大きな目標を達成した男の顔にきゅんとする親バカぶりを存分に発揮しました。
息子につきっきりでカップ麺の練習をしたのはそれきりです。
それからは自分でフィルムを剥がしお湯を注ぎ、テーブルまで運んで3分経ったら食べるという、巷では一般的であろうその工程を難なくできるようになりました。
わたしの育児目標、「息子がカップ麺を食べる」が達成されたのです。
やったことのないものにはどうしていいか分からない、見当がつかない、だけど説明を読むわけでもない。
だから出来るようになるまで時間はかかるし親の手間も必要だけれど、だけど成長と共に息子は自分のことが自分でできるようになることをわたしはこれまでの経験から学びました。
カップ麺を作って食べることをこんなに嬉しがる親はそうそういないでしょう。
でもこれでいい、これでいいのです。
すぐにできる子もいて、練習が必要な子もいて、いろんな子がいていいのだと思う。
だけど、だから親は少しだけ疲れる、いやだいぶ疲れる。
順番を踏むことの大切さ、それは見ればすぐにできそうなことも不思議とできなかったりするわけで、経験こそが大事だと言われる故なのだなと感じる部分です。
休みの日、寝坊して起きたリビングに漂うカップラーメンの匂いが、わたしの鼻腔を刺激してそれは徐々に空腹を意識するようになると、息子は立派にカップ麺を作り上げたのだなという思いに達する。
そうやってカップ焼きそばもこなし、鍋を使う袋麺のサッポロ一番も手慣れたものとなり、わたしのなかの一人飯は取り敢えず網羅できたなと胸をなでおろしたのでした。
そのくらいのことと言ってしまえばそれまでのことです。でもやらなければ何もできない子になってしまうなら、少しずつでも時間をかけてスモールステップで歩めればいい。
次はチャーハンあたりを目標にしようか。
できることを一つでも増やせていけたらいいなと思います。今年もよろしくお願い致します。