繋ぐ
立春を過ぎてがらっと変わった感がありますが、少し前、自分がどんどん弱くなっているように感じて苦しい時期がありました。元々小さな子どもみたいだったのが、更に幼くなって赤ちゃんくらいまで退行してしまったような…否、もっと非力な感じかも。
あぁ、この感覚知ってる…と向き合っていたら、色々起こる、怒る。。😂
特に身内との関わりから、自分自身の生き方とか働き方とか考え方の癖がはっきりと見えてきて、根底から洗い直すような氣づきがたくさんありました。
その間、忙しなく色んな感情に都度飲み込まれそうになりましたが、根っこにあったのは
「生命を粗末にしないで!!」
という叫びでした。これは今までも何度も直面してきたテーマでしたが、ふと、
私自身はどう?
という疑問が浮かびました。
外側で起こった出来事に反応していたつもりでしたが、もしかして…と。
いや、そんなつもりはなかったけど…
あれれ??
(一旦保留。。)
同時に仕事のことを考えながら、
「私は何になら生命をかけられる?」
この問いを何度と繰り返していました。
すると今までの自分の働き方が、生命をかけるというより、ただがむしゃらに生命を削っていたことに思い当たりました。
そこ、はき違えてたかぁ…
そりゃあ何度も死にかけるはずだわ。
諸々、妙に納得。。
相手の生命を大切にするのと同じくらい自分の生命も大切にしなきゃね。
自分(の生命)を蔑ろにしたらあかん。
あとお金への執着。
これは自分には関係ないことだと思っていましたが、
「税金とか年金とか、生きている限り払わなきゃいけないお金もあるし、お金がなければ欲しいものも買えないし」
20代の頃のようにがむしゃらに働き続けることが難しくなると、殊更そうやって自分を説得しながら働いていたことに氣がつきました。本当は納得していなかったのに「必要だから」と、分かったふりをして自分に嘘をつき続けてきたのです。
お金はたしかに大切ですが、いつの間にか目的と手段が逆になっていました。生きるためのお金ではなく、お金のために生きていたのです。いつの間にか私はお金の奴隷になっていました。
先日仕事を辞退したときに感じた涙の理由も、本質的にはここだったのだと思います。
そんなふうに自分の生命を使ったらあかん。
身内のことを、金の亡者とかゾンビみたいと軽蔑したり非難していたけど、同じ穴のムジナだったというね。チーン…
生きたまま死んでる場合やない。
ここはやっと氣づいたというより、やっと認めたとか、受け入れたという方がしっくりきます。自分があのゾンビたちの仲間だなんて、今まで一番否定してきたところですから^^;
こうして特大ブーメランをいくつもくらいながら確信したのは、
生命をかけたいものはひとつしかないよね。
ということ。
氣づいたのは旧暦元旦の少し前でした。
こちらの護摩堂で座っていると、胸(ハートのチャクラの辺り)が熱くなり、それが徐々に拡がっていく感覚がありました。こちらには弘法大師に御礼を言いたくて伺ったのですが、思いがけずそれを宣言してきました。
宣言の内容は書きませんが、母や祖母の生きざまが影響しています。私が彼女らを最も尊敬していて、敵わないと思っているのは、
誰にも媚びず傲らない。
憎しみを憎しみのまま終わらせず、愛に還す。
そんな姿でした。
10代の頃に彼女らのストーリーを知り、それに心を動かされて進路を決めましたが、当時は「何に心を動かされたのか」を本当の意味では理解しておらず、20年以上の時を経てようやく分かったような氣がします。
『何者にもなりたくない』
子どもの頃からその思いがはっきりしていた私は、「将来の夢」というタイトルの作文が苦手でした。
そんな私が唯一本氣で書いた作文のタイトルは、
『マザー(母)になりたい』でした。
12年前に大きな転機となった旅で、泣きながら心の奥底から絞り出した言葉も同じものでした。
そういえば、この後再度インドの地を踏んだのはバレンタインデー。元彼との時を超えた 愛憎劇もそこから…って、
あれれ??書いていて思い出しましたが、
「愛をもって憎しみを終わらせる」って…
実は祖母や母と同じことを私もしていた?
驚!!!
人生ってホントに無駄がないのね。。
ちょっと話が逸れました ^^;
『ヨガ(yoga)=繋ぐ』という意味があります。
「アーサナ(ポーズ)をするだけがヨガではない。ヨガは生き方そのものなのだよ」と教わりました。『繋ぐ』は私の今生のテーマであり役割ですが、こういう世の中だからこそ特に大切にしたいと感じています。
世の中には不安や恐怖をかきたてたり、分断を煽る情報に溢れていて、影響力のある(強そうに見える)他人の言葉や誰かに縋りたくなる氣持ちも分からなくはありませんが、妄信することは危険。必ず隙ができるからです。
他人の言葉に耳を貸さない頑固者になれという意味ではありません。人と人、地球、神仏、森羅万象…様々なものとの繋がりなしでは生きていけないこともたしかですが、まずは何よりも自分自身との繋がりを確かなものにすべきだと感じたのです。
今回色々あったなか、私自身がまだまだ『自分を大切にする』ということを本当の意味では理解していなかったことに氣づかされました。
私はずっと自分自身との繋がりが曖昧で、自分の本当の氣持ちを見失ったり、見ないふりをして長く生きていました。他の何かや誰か以上に、自分自身との分断ほど悲しいものはありません。
結論はいつも同じ(*^^*)
あまり賢くもなく、不器用でゆっくりですがそれが私。みっともなくスッ転んで泣くこともあるかもしれませんが、それでも私は他の誰かではなく私の生命を生ききるしかない。
2022.2.14 Valentine's day