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商品化される女性たち、自分を“見せる”ことの裏側

深夜番組で、女性が小さな水着を着て、スタジオの多くの男性たちの前に立たされるシーンを見たことがある。最初は何となく目が離せなくて見ていたけれど、だんだんモヤモヤした気持ちになってきた。もちろん、彼女が自分で選んだ仕事なのかもしれない。だけど、見ているうちに「これって、本当に彼女が望んでいることなのかな?」と疑問に思うようになった。

もし、彼女の家族がこれを見たら、どう思うだろう? 胸が痛む。芸能界で頑張ることは素晴らしい。でもきっと、どこかで「こんなはずじゃなかった」と感じているんじゃないだろうか。

女性がテレビやメディアで取り上げられるとき、どうしても「見せるための女性」「商品化された女性」として消費されがちだ。才能や能力よりも、外見や sexuality が注目される。もちろん、彼女たちが自分でその道を選んでいることは尊重したい。だけど、その背景にある「女性はこうあるべき」という社会のプレッシャーには、疑問を感じずにはいられない。

例えば、ファッション業界。モデルたちが着る服やランジェリーは、時に過剰なまでにセクシーさを強調している。広告でも、女性の体が商品を売るために利用されている。化粧品や香水の広告では、女性たちは挑発的なポーズと表情で「これが理想の女性像」だと訴えかけてくる。

ある化粧品のCMで、女性がセクシーな笑顔で商品を手に取るシーンがあった。美しい映像だけど、そこに潜むメッセージは「魅力的な女性=セクシー」ということ。「化粧をすれば、あなたもセクシーになれる」と、女性たちに暗示をかけているように思えてならない。

SNSでの「性の商品化」も深刻だ。インフルエンサーやモデルが、露出度の高い服装やポーズでフォロワーを増やしている。自己表現の一環かもしれないけれど、「露出=承認」という構図が出来上がってしまっている。行き過ぎると、女性が自分の体を「商品」として見せることが当たり前になってしまう。

最近では、YouTubeやTikTokで若い女性が自分の体や容姿を前面に出して人気を集めるケースも多い。自己表現は自由であるべきだけど、これもまた「女性らしさ」「魅力」を強調することで、女性を「商品化」している側面がある。過度な性的表現は、女性を「見るための対象」として固定してしまう危険性がある。

私自身も、SNSで水着写真を投稿したり、セクシーな自分を演出して関心を集めたことがある。それが自分の表現だと信じていたけれど、「もしかしたら、私も自分を商品化しているのかも…」と反省する時もある。自分がしていることが、他の女性に悪影響を与えているとしたら、とても怖い。

AV業界も、深刻な問題を抱えている。女性を「物のように扱う」作品や、女性が無理やり「される側」として描かれる作品が多い。女性の尊厳を傷つけるような表現は、見ていて本当に辛い。

AVでは、暴力的で支配的なシーンがしばしば見られる。これは、女性を「支配されるべき存在」として描いていると言えるだろう。こんな映像が若者に見られることで、性に対する歪んだ認識が広まってしまうのではないかと心配になる。

メディアでは、女性を「魅力的で性的な存在」として描くことが多い。AVはその最たる例だと言えるだろう。しかし、過剰な性的表現は、女性を「見るもの」「扱うもの」として矮小化してしまう。その結果、女性自身が「私は商品のように扱われてもいい」と思い込んでしまうのではないだろうか。

誰もが、その存在を尊重されるべきだ。女性も男性も、商品のように扱われることなく、自由に自分らしく生きられる社会になってほしい。性を表現する自由は大切だけど、それが誰かを傷つけたり、物化することになってはいけない。私たちは、もっと慎重にメディアと向き合っていく必要がある。

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みさき なな
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