発達障害のマンガは◯◯であるべき?
亀山です。Twitterでもつぶやきましたが、僕つまの感想で「もっと一般の人が発達障害の理解をしやすいよう、解説のような漫画にした方がいい(なんでしないのだ)」というようなものを目にしました。
言いたい事がわからなくもありません。発達障害は世間ではまだまだ誤解が多いですから、理解を広める役割を作品に求めたくなりますよね。当然、僕たちも理解が広がる事を望んでいます。
大切なのは、その作品で出来る最大限のことをやる、ということ…ではないでしょうか。1作品で全方位に刺さるような表現は出来ないですから。
発達障害と無縁な層に刺さる表現、発達障害を持つ人が共感できる表現、当事者に届く表現、それぞれ別です。(特性や状況が異なるので、当事者の中にも幅が存在します。)
一般の人たちにはわかりやすいが、当事者が読んだら傷ついてしまう・凹んでしまうという表現もあります。冒頭の問いに答えるならば、僕たちは当事者だからこそ当事者を傷つけない、少しでも前向きになれるような表現をしたい(完全に傷つけない…のはどうしても難しいですが)、だからこそ今の形にしているということです。
ですので、社会全体での理解が広まるために重要なのは、立場が異なる作品が世の中に多く出回ることではないかと思います。一般向け・周囲の人向け・当事者向け…それぞれの作品が、それぞれに合った読者に刺さり、理解に繋がる…そういうものではないでしょうか?
また、僕つまは解説マンガではなく、通常のストーリーマンガですので、そういった意味でも説明は控えめにしてあります。あくまで「知花」という一人の人間が、困難を背負い、それと共に生きていく姿を描こうとしています。
これは「ADHDだからこういう人でしょ」「ASDだからあなたはこういう人だよね」という1面的な捉え方をするのも違うよな?という考えと繋がっています。実際に当事者と接するとき、特性の知識は助けになりますが、先入観が邪魔になる場合もあります。結局は当人とよく話し合い、具体的に何に困ってどうして欲しいのか、解決策をひとつひとつ積み重ねていくしかないです。
知花と悟が積み重ねていく様を長く描きたいですが、いつまで続けられるでしょうか。連載は不安との戦いですね(笑)
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