声に出すこと
ホノルル美術館にもある観音菩薩。
こちらはちょっとにこやかで、サンディエゴのに比べると女性的。
でも、胸板の厚さを見るにつけ、やっぱり修行中のブッダかな、と思ったり。脱力具合がとても好き。
心や身体に耳を傾けるとき、身体が力んでいないってのは大事なんだろうなぁ。
音を観ずる、衆生の声を聴くという観音。
声に出すということは傷ついた心がほどけていくプロセスでも大事なことのようだ。だからこそ、聴き手としての、立会人としてのカウンセラー的役割が役に立ったりするのだろう。
先日、アーカイブ聴講した「探究 遊び コトバ」禅僧 藤田一照さん×ボディワーカー 小笠原和葉さん×臨床心理士 岡村心平さん オンライン三人会第2回」の中でも、身体的に感じたこと、分かったことを「言葉にすること」の大事さについて語られていた。
そして、声としてのことば、対話の面白さについて、國分先生の本にはこんなことも書いてあった。「対話という形式が理想的であったのは、おそらくそれが意思による統制を避けることができるからである」「語ることが、言葉の本質の方から呼びかけられ、ことばの本質の方へ導かれる」
「ことば」好きで、「それがどう語られるか」についても、ついつい、関心が向いてしまう者としては、声に出すこと、語ることに興味津々。本を読んで考えることと、声に出して語ること。やっぱり、かなり違う。
思いもしない言葉が降ってくることがあるからあなどれない。