欲しいなぁと思っているとかなう
國分先生にグリーフのテーマでお話をしていただきたい、と宙に放ったら、
叶ってしまった。しかも、一緒にお話しできる形で。
時々、こういうことが起こる。
きっとみんなにも起こっているのだと思う。
もう、いろんなところに何回も書いているのだけれど、
「これだけ本があるのに、自分の書いた本がなんで無いんだろう。
あって当然だ」と思っていたら、何冊かの本の著者になった。
大学の先生になりたいなぁと思ってたら、いくつかの大学で非常勤講師で働くことになった。
海外で暮らしてみたいなぁと思っていたらハワイ在住だ。
「欲しいなぁと思うと、手に入るんだよ。努力していないのに」って
話すと、「手に入りそうなものを欲しいと思ってるんだよ」と言われたり
する。でも、海外暮らしや本の出版、手に入りそうだって思ってたかと
言われると、「いや、そうでもない」って言いたくなる。無意識レベルを問われたら、無意識だからわからない。
分不相応なことは欲しがらない、というのはある。だから、超高級コンドに住みたいとか、自家用飛行機を持ちたいとか、スーパースターになりたいとか、そういう願いは「あったらいいかもなぁ」ぐらい感じることはあっても、「そんな暮らしをしても当然なのに」ほどの感覚にはならないから、
ある意味、可能性があるものを山ほど願っていて、そのうちのいくつかが偶然、叶っているのかもしれない。
今回、宙に放ったら、友人が実は國分先生の知り合いということで、つないでくださった。ハワイにいなければ、グリーフに携わらなければ出会わなかった友人だ。dependent co-arising なるものを感じずにはいられない。努力はしていない、けど、関心があるものに「うわぁ!」と感じたり、むくりと起き上がって「すてきだ、すてきだ」と騒いだり、メンドーだと思いながらも関わり続けたりということはある。
これは、何かの結果を求めて「〜のために」とやっているわけではないので、努力しているようには見えない。自覚としても、「努力」ではない気がする。「そうせざるをえない」「そうなっちゃう」「そうしちゃう」的な。
そういうわけで、目的を持つことなく、思わず動いちゃう方向に動いていると、だれかのはからいで、願いが叶ってしまうことがあるというお話でした。知らんけど。