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ジョアンナ・メイシー的なるもの〜藤原辰史氏の本を読みながら

ジョアンナ・メイシーをどこに感じるのか、ということについて考えたいと思いながら、大晦日を迎えた。

そしたら「お餅つき、行きませんか」とお誘いが。
ここ、ハワイの地は島内の100にも登るお寺で盆ダンスは2ヶ月半続くし、年末にはあちらこちらのお宅で餅つきをする。木のウスよりも、石をくりぬいたような形のウスをよく見かける。杵はあの、杵だ。今日、お誘いいただいたのはマキキ教会というプロテスタントの教会。だけれども日系の方が中心のお城のような建物の教会なのだ。
そこのキッチンで蒸し上げられたもち米が次々と中庭に運び込まれる。
中庭では屈強な男性たちが慣れた手つきでテンポよく、お餅をつき上げ、キッチンに運ばれたお餅は女性陣が次々と丸餅に仕上げる。
事前注文用のパッケージができると、徐々に子どもたちを連れた家族が集まりだし、ウスの前にずらりと並んだ子どもたちが餅つきを体験し始める。
お父さんと一緒に杵を持ち上げたり、思いの外重たい杵によろめいたり。
キッチンに続くホールでは、お雑煮(にんじん、大根、水菜が入っている)がふるまわれ、お代はドネーション。だし味がじんわり、おいしい。

コロナのこともあって、3年ぶりだというこのイベント。久しぶりに会った人と挨拶を交わしたり、お雑煮を食べてニコニコおしゃべりしたり。
ハワイの日系社会のイベント! という感じだった。

藤原辰史氏の本に「縁食論」というものがある。
副題が孤食と共食のあいだ。
現在、ハワイでおひとり様状態の私の食事やさっきのゆるやかな関係にある知人たちと共に食べるお雑煮、一緒に食べているのは神様かもしれないという、まさに共食的な時間を過ごして。子ども食堂にも興味があるので、この本はとても興味深かった。

ジョアンナ的なるものとどこでつながるのか。
見てる範囲が人間の社会だけじゃなくて、それを取り巻く動物や植物や微生物たちの世界、ひいては地球的なるものであるところ。

弱さ〜フラジャイルであるという意味合いも、ついつい強欲になったり執着しちゃうという一見弱さじゃないんだけど、じつはある意味弱さ、みたいな意味合いでも〜や不確かさが含まれているところ。

あとはにこやかに過激なところかなぁ。
とりあえず、年をまたいでしまったので、また考えることにして、
縁食論、読み終わったら植物考にいこう。




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