深夜宅配、前
インターホンが鳴った。
既に日付を越えてから二時間は過ぎている。こんな時間に誰が来たのかと怪訝な顔で画面を覗きこんだ。
そこにはにっこりと笑みを浮かべる見知らぬ男が立っていた。
…部屋を間違えたのか。踵を返しソファーにどかりと腰をおろす。
もう一度チャイムが鳴った。画面の中の男は、相変わらず笑みを絶やさずに立っている。
間違いに気づいていないのだろうか。どちらにせよ、このままチャイムが続くのは、煩くてたまらない。うんざりしながら通話ボタンを押した。
「部屋をお間違えのようですよ」
「おや…これは夜分に失礼致しました」
男は慣れた営業マンのような口調だった。
「いえいえ」
そう言いながら通話を切ろうとボタンに手をかけた。
「荒木様のお宅ではございませんか?」
ボタンを押し掛けた手が止まる。男は間違いなく自分の名前を呼んだ。
「はぁ…。どちら様でしょうか」
「私、深夜宅配業を営んでおります。堤、と申します。荒木様宛のお荷物をお届けに参りました。」
「深夜宅配…?」
「はい、さようでございます。夜の0時~4時までにかけて営業をおこなっております。昨今、日本では深夜から明け方にかけてのお時間しかご在宅でないような、多忙なお客様が増えております。
しかし中には、直接お受け取りになりたい荷物もございますよね。日中の時間ではご対応が難しいお客様の為に、私どもはこのようなサービスを展開しております。事前に手紙を投函しておりますが…。ご覧にはなっておりませんか?」
そう言われ、先程ポストから出したばかりの郵便物を確認する。その中に"深夜配達"と大きく赤文字でかかれたチラシをみつけた。一見すると子供の落書きのような、下手なイラスト付きのチラシだった。
「はぁ…。」
「新しいサービスで、まだ認知度が低く…。驚かれるのも無理はありません。」
「それで誰からの荷物なんですか?」
「ええっと…。おや、申し訳ありません。送り主様よりサプライズで送ってほしいとのご依頼でして、出来ればこのままお受け取り頂きたいのですが…。」
「いや、流石に誰が送ったのかも分からないような怪しい物は受け取れませんよ。」
「…そうですよね、皆様そうおっしゃる。」
この問答はよくするのであろう、男は困ったように笑った。中々端正な顔立ちをしている。
「それでは送り主様のお名前を読み上げますので、心当たりがございましたらお受け取り頂けますか?」
ずいぶん潔く引くものだ、といささか呆気にとられていると男は続ける。
「いえ、先程お伝えした通り、当社のサービスはまだ知名度が低いもので…。一部の方にしか知られていない存在は、得てして怪しく感じるものです。
私どもは、利用してくださったお客様の気持ちを届けるつもりで、業務にあたっております。
ここで荒木様に受け取っていただけなければ、その気持ちを送り主様にお返しすることになりますので…。」
そこまで言われると、なんだか受け取らないこちらが悪いような気になってくる。
「それで…誰からなんですか?」
「お名前は――――様ですね。ご存知でしょうか?」
思わず目を見開く。
男が言ったのは別居中の妻の名前だ。仕事ばかりにかまけていた私に愛想を尽かし、出ていってからもう半年も経ってしまった。まだ離婚届けは提出していないが、連絡もろくに取り合っていない。事実婚ならぬ事実離婚状態だ。
そんな妻が、今更何を送ってきたのだろう。
そもそも送ってくるなら、何か一言連絡をよこしてくれればいいものを…。そう思いながらも、荒木は何を送ってきたのか気になって仕方がなかった。「どうぞ」と素っ気なく言うとオートロックを解除した。
堤は画面越しに深々と頭を下げた。しばらくすると、入口からノック音が聞こえてくる。
「お待たせ致しました。」
扉を開くと、開いた先に堤の姿はなく、ただA4サイズの薄手の封筒が床に置いてあるだけだった。辺りをキョロキョロと見渡すが人の気配はない。
サインも受け取らず帰る宅配業者があるか…?流石に気味が悪くなってきた。しかし、封筒に貼られた伝票には、確かに見慣れた妻の字で宛名が書かれていた。
可愛らしい小さな文字を見つめながら荷物を手に取った。
◇