「できない」の育て方。
今日は自分以外のひとと交流する時間が長かった。
考えたことを話す時間や、息抜きの一環でフリスビーをしたり、誰かと接する時間が長くなった。
誰かと話す時間は飾らずにそのまま話した。私の考えをそのまま喋って相手がどう思うのか。は私の問題ではないからだということがわかったからだった。
その考えをどう解釈して、どう関わるのかを決めるのは相手次第で私が決めることではない。
◆
休憩時間を作ってフリスビーを飛ばしてみたら、
私が飛ばしたフリスビーだけ真っ直ぐに飛ばないし
向こうから飛んでくるフリスビーをうまくキャッチできない。
昔から身体を使うことが苦手で失敗するのが怖くて
いつも端っこで見てるだけのタイプだったものだから
いざという時、上手に動かすことができない。
これまでの私なら「うまくできない」事実に
ショックを受けて凹んで。人と比べて、
今日も私は劣っている。。。となっていたのだと思う。
でも、今日の私は上手くできないままの私で
フリスビーを楽しんだ。運動神経がとんでもなく悪いこと。
できるようになるまで挑戦すること。
経験があるひとだったり、要領がいいひとは
すぐにできるようになる。
私は経験も少なければ、要領も悪いので
できるようになるまで時間がかかる。
見えないものが見えたり感じたりできる分、
その辺りはマイナスなのだろうと思うことにした。
最終的にフリスビーは投げてくれるひとが
ものすごく上手に投げてくれて、捕まえられるようにはなった。
次に挑戦する時はもう少し早くできるようになっているかもしれない。
◆
自分の考えを話しながら、
できないフリスビーをしながら、
私は変わっていっているな。と感じた。
フリスビーができないことも、
その先では認識しないようになるのかもしれないと思った。
ひとそれぞれ視点が違うとはこういうことなのだろうとも思う。
だからこそ、あらゆることに配慮が必要だとも強く感じた1日だった。