幸せの種。
20代の頃、就職した会社で。
スタートの1ヶ月で与えられていた個人予算の400%売上を作った。
それで天狗になった私の鼻を、しっかり折ってくれた先輩がいた。
根性論かと言うとそうじゃないと思う。確かに必死にしがみついて仕事を教えて貰った。強く浴びせられた言葉は、私の素質にかけてくれたからだと今でも色褪せない。
あの時間、あの経験があったからこそいまも生きられてる。感謝でしかない。
生易しさなど微塵もなく、厳しい世界だった。
接客や小売業の基礎を築いたのは、いま生きるためだったかと何十年も経って有り難さが身に沁みる。
良き先輩というのは、こちらなど見ていない。
共に目標に向かうことしか見ていない。
そういう人に会えて、年間の大半を一緒に過ごし
多くの学びを得た。
精神も肉体もボロボロになって、ドクターストップがかかり退職するまで、走り続けた。オーバーヒートを迎え、退職を願った際に戻っておいでと言ってくれた。
これまで退職していった仲間にそんな事を言った事はなかった人がと、涙が出た。
トップから末端まで女性しかいない会社で叩き込まれた事はいまも鈍らない、宝だ。
戦場とかなんかそんな言い方しか無いような、売り場は当時の私にとって、全てだった。
全てを傾け、受け止めてくれて、鍛錬してくれた。全力を尽くして、良かった。そんな爽やかさに包まれる。
とはいえ、自分の事だけに集中しそこに骨を埋め無いという選択も今思えば良かったのかもしれない。売っていた商品は、時代の波に押し潰されていったので、
遅かれ早かれ退職することになっただろう。
私はこどもの頃から自分の発達障害と個性を、人並みに何1つ出来なかった自分を、責め続け生きてきた。家庭環境も全て憎んで生きていた。
就職し、自立したいと思った時に
今自分の全てと対峙しなくてはならないと、
しっかりと思った事をおぼえている。
私がこんなにも酷く醜い人間であるなら、
それは誰のせいにもすること無く
自分で磨き上げるしかないんだと。
自分を救えるのは、自分だ。
世界のせいでもない。
親のせいでもない。
誰のせいでもない。
自分をおざなりにしているのは自分だ。
それを腹に括り、醜い自分と共に。
人生が歩き出した、そう言える瞬間だった。
それが20歳だった。
それは、いばらの道のスタートラインが見えたに過ぎなかっただけ。
インターバルなし。間髪入れずに全力を出し切る場面があるというのは、後悔のない人生を送るには必須かもしれないとさえ思う。
そんなこと、昭和の時代の産物だと言うも笑うも良い。
私の中にある、充足感も幸福感も私のものだ。私が全力で得たものは、何より代え難い。
先輩方に教わった仕事は
いまも私を生かす。
幸せの種は、自分次第。
多くのことに生かされている。
そういう事にいつだって感謝を申し上げたい。