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小樽プライド2023スピーチ

2023.6.25開催されました、小樽プライド2023の開会式にて、実行委員会委員長と小樽市市長の迫さん、アメリカ領事館マークさんと一緒にスピーチをさせて頂きました。大変光栄な時間を持つことが出来、皆様には感謝厚く申し上げます。その際のスピーチ原稿の元になった原案をここに記します。

第4回小樽プライド2023、本日お集まり頂きありがとうございます。また、パレードの開催に心を届けて下さったみなさん、自身の立場から小樽プライド委員会に志しを預けて下さったみなさん、誠にありがとうございます。
小樽プライド委員会 共同代表、金澤奈々です。
私は生まれた時からジェンダーフルイドという、
性アイデンティティを自認している性的マイノリティーです。
隣にいるのは、私のパートナーであり
小樽プライド委員会メンバーのあかねさんです。

私から、日本中、世界中のみなさん、ひとりひとりの真実や心の深い部分にお聞きしたい事があります。
「家族とは一体何なのでしょうか。」

ここで少し私自身の話をさせて下さい。
私は、小樽市花園にあった寿司屋に生まれました。
生後4ヶ月の時、お手伝いのおばさんが体調不良を
理由に辞めてしまい個人店の忙しさの中、
今で言うベビーシッターのように赤ん坊をみてくれる
人はいないかと、
お店に来店していた父の中学校の後輩に聞いたそうです。近所に住む、その人は私が後に叔母と呼ぶ人なのですが、
当時は「館」に努めており20代だった彼女は
ベビーシッターが出来そうな知人も思い当たらず、
家でうんうん唸っていた所、困ってるんだろう、
預かり先が決まるまでうちに連れておいでと言ってくれたのは、その方のお宅で電気館の長女であった、私がばあちゃんと呼ぶひとと戦争帰還を果たしたじいちゃんの家でした。

ばあちゃんは、じいちゃんが反対することはないだろうと踏んでいたらしく、座布団に寝かされた私を仕事から
帰ってきたじいちゃんに見せたそうです。
座布団にちょうどすっぽり収まるサイズ感だった私を見て、こりゃ特級品だ!と言い(後に、この話しをする時は、米じゃないんだからというツッコミ付きでしたが。)
反対しないどころか、赤ん坊の世話をすることを快く
引き受けてくれたのでした。
血の繋がりのないじいちゃんですが、どこからか
調達した乳母車に私を乗せ、休みの日にはグリーン
ロードから花園銀座街、館に立ち寄ったりして
特級品だ!と言い歩いたといいます。

七五三ではキクスイ写真さんでみんなで写真撮影をし
ショーウインドウに飾って頂きました。

幼少期は男の子向け、女の子向け関係なく
様々な事に興味があり、じいちゃんばあちゃんは
それを否定することなく接してくれました。
ウルトラマンのソフビ人形を全種類持ちながら、バッグにもなるリカちゃんハウスで遊んだり、クリーミーマミの変身ステッキも仮面ライダーの変身ベルトも大切に
していました。

ただ近所の人が子どもだった私の面倒を買って
出てくれただけ、きっとそれだけのことだったのが
一変した理由の1つは、私が7歳、父が31歳の事でした。

朝早く職場に向かう父とのすれ違いの日々。交換日記をつけて、あった出来後など日記で話していた日々。
お祭りに行こう、そう約束していたある朝。
父は交通事故で帰らぬ人となりました。
社用車の車のタイヤは減り、昔はタイヤにチェーンを巻いていた時代の道路の轍は深く、急な雨も伴い。
轍にはまり、歩道橋の柱に激突し即死でした。

父の死を知らされた朝の、自分が着ていたパジャマの柄、一気に世界は冷たくなり、私は私を保てず孤独を知りました。

父の身元確認に行こうとしていた母に、ショックを受けさせまいとじいちゃんは自分は戦争に行った人間だからと言って、母の代わりに父の身元確認に行ったそうです。血の繋がりなどないのに。

母は父の死を受け入れられず、初七日が終わった頃のある夜、弟をおんぶして私の手を引き、無理心中をしようと車道を歩き続けました。
街頭の蛍光灯のオレンジ色がぼんやりと浮かんで、
肌寒く「じいちゃん、ばあちゃんちに帰ろうよ」と私が言うと、母は道路に顔を付け泣き叫んでいました。
じいちゃんばあちゃんがいること、帰る所があること、
辛く苦しくても生きていく事を選択した瞬間だったのかもしれません。
父の突然の死によって、私たちはステレオタイプの家族の形ではなくなったのです。

母は自覚のないまま、精神を病んでいったように思います。その前から不安定だったのですが、誰にも手のつけられない状況は年々悪化し私と弟は巻き込まれていきました。

その後もじいちゃんばあちゃんは私をまるで自分の孫の様に、命を守り育てるため寄り添い、手を離すことなく一緒に生きてくれました。
成人しても、それはいくつになっても亡くなるその日まで何一つ変わりませんでした。

もう1度みなさんにお聞きします。
「家族とは一体何なのでしょうか。」

ひとり暮らし家庭も夫婦2人家庭も、ひとり親家庭も、同性家庭も、他の形も、自分の命、家族の命に責任を
持つ、様々な家族の形、それぞれ1つの形に過ぎない
と思っています。
自分自身と、誰と、この今ある輝かしい命を大切に
していきたいのか真剣に向き合い、自分らしく生きていきたいと心から決意した人を、またそうしたいと考える人を真正面から見つめて頂きたい。小樽の街にはそれを支えられる十分にハートフルな心意気がまだある、そういう事をもう一度創造して欲しい。路地裏で遊んだ日々、商店の子どもたちがみんな一緒にご飯を食べて、大人も子どもも支え合ってた日々は実際にそこにありました。

今、私には私の命に対して真剣に考え、
側にいてくれてるあかねさんがいます。
父と生きた僅かな時間がある小樽、
じいちゃんばあちゃんが眠る小樽、
2人一緒に生きていく街として、
小樽に戻ったのは今年の1月でした。

小樽プライド委員会のメンバーとの出会い、
日々の活動は、私たち2人にとって大変重要な
コミュニティとなりました。
仕事を通じて知り合ったお店の方々、お客様、
活動を通じて知り合った地域の方々、私たちを家族とみなしてくれているみなさんに日々支えられています。

かつて未熟で非力な子どもだった私は、大人になった
いまでもひとりきりでは生きていくことは出来ません。きっとどんな人も皆、自分や家族、地域、コミュニティを支え支えられ、活き活きと暮らしていけるのではないでしょうか。

私から見た港街、小樽には多く可能性が溢れています。
小樽を旅の地として訪れた人々が楽しかった、来て良かったという笑顔を目にする度に、この街の素晴らしさを再確認することが出来ます。訪れてくれてありがとう!という気持ちと共に、世界中から小樽を訪れる性的マイノリティーに思いを馳せます。
失礼なことはなかったか、配慮されていたか、疑問や課題を持ち帰ってくれただろうか、また行きたいと家族に話してくれただろうか…いつか会って話せるだろうか。
たくさんの事を思います。

ここで自分らしく生きていく、そのために私たちは挑戦し続けます。

最後までお読み下さりありがとうございました。

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