しゃちょー母が電話で話してたこと。
彼女(うちのしゃちょーである。)の実家は九州博多にある。
2人で、お母さんや妹弟親戚に会いに行ったのは、数年前。コロ ナの前だった。空港まで迎えに来てくれて、数日あれこれと大変お世話になった。
親戚みんなで焼肉も食べて多いに楽しませてもらった貴重な時間だった。
一人っきりじゃない、そういうことを喜んでくれて応援してくれてる家族だ。
2人の生活、2人で立ち上げた会社は、とうてい楽ではない。
自分たちの生活も命もえぐれてはいる。まわりの方々の温かい気持ちで一本の糸を手繰り寄せて生きてるようなものだ。
電話でお母さんは「もういいっちゃろ。帰っておいで。」そういったそうだ。
ほんとだよね、なんて思ったりして。福岡帰りたいね、雪の無い冬が恋しくなったりしてセンチメンタルである。
私は本当に数日滞在しただけなので未開の地ではあるけど、そこに生きる人との出会いからいい所だなと本当に思った。都会だし、街全体が元気で土地風情もあって色っぽい街だと思う。
私たちの生活も、仕事も応援してくれてるからこその現実。お母さんにも直面させてしまっている事は申し訳ない。とても。
とはいえ、今が1番辞め時ではないことも事実。理由は様々あるけど。
福岡には半分体を置きたいことは創業の時から言っているし、ほぼ決定事項の1つでもある。
どうか、最後まで信じてほしいと思うが、到底言える状況ではない。
仕事を辞めて、福岡に帰るということ。むしろそれダケは無いと断言する。
しゃちょーが背負ったもの、私が背負ったものは、お互いの生き方を貫く生き方だ。
私のやりたいことを叶えるのが彼女の仕事であり、彼女のこれまでの人生に無かった経験を余すことなくしてもらうことが私のすべき事だ。
社会問題でもあるジェンダー賃金格差や女性同士のカップルの貧困問題、挙げればきりもないし加えて新規事業を抱えて暮らしてる。そんな私たちはえぐれにえぐれてる。そんな事は誰から見たって一目瞭然である。
コロ ナや円安、日本の経済状況。今後の世界経済状況は女性を瀕死へと追いやる。
とはいえ、我々(とくに私。)これまで泥を啜り生きてきたかいあって知恵と経験豊富である。さすが年増なだけはある。戦場を共に生き抜いて来た強固な団結力、何故か食いっぱぐれることのない生命力、繊細であり鈍感でもあるバランス感覚。無いものを闇雲に探さず手元にあるもので危機を切り抜ける創意工夫の力。
年増2人、世の中の役にたちたいと思う。
まだまだやらなきゃ終われない事だらけなので、お母さんにはもう少しだけ心配をかけるだろう。
常に革新的オルタナティブ、人生を彩っていたい。
ということで、相変わらず転げ落ちながら死なない寸前で2人で笑っていたいと思う。