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恋人ごっこがいいから。

この歳になって、余計に恋人ごっこがいいなって思うようになってしまった。
違う言い方をすると、普通に昼もデートするセフレ。
私たちの場合は普通のデートもするし、会ってヤらない日だってある。
言い合いだってするし、スケジュールもそれなりに教え合っている。
ただ、付き合おうと言わない関係。恋人としてじゃなく、恋人ごっこの相手として会っている。
愚痴を言えば全肯定してくれて、どこかに行きたいと言えば連れて行ってくれる。
ナナのしたい事を全部しようって言ってくるもんだから、多分彼は私が好き。
二人でいる時の居心地はいいし、無言でもその人となら一生いられる気もする。それでも付き合わない。
恋人という枠組みが嫌いなだけなのかもしれない。
恋人がいるというメリットが正直今のところ見当たっていない。
好きがわからないとか、そんなの大前提だがそれ以上に恋人でいる意味がなくなってきてしまうのだ。

ただ、好きであることが必要なことではない、というよりも
好きでいることに飽きてしまったのだ。無駄な労力を使いたくない。
二十代、残念な女になってしまったのかもしれない。
ただ、恋人以上に私は私が大切で、彼氏なんていう存在はきっと優先順位が下がってしまうほどに必要ないのだ。
これが強がりと言ってくる人に、私はきっと鼻で笑ってそうだね、って言うんだろうな。

嫌いじゃないよ君のこと。
でも別に好きじゃない。いや、好きなんだけど付き合って君を縛るほどじゃないのかも。
ただ、好きになったところで私にも、彼にもメリットはないから。都合のいい関係が世界で1番楽なのだ。
片思いを2年半した、なんて記事を書いたことがあるけれど、今の私には完全に無理な話で、でもその2年半のおかげで、2年後にお互い恋人がいなかったら結婚しようねなんて馬鹿げたことを普通の顔で言ってくる男と恋人ごっこをさらっとしている。

好きを捨てた。好きが消えた。
月が綺麗だねって言うと俺もだよって返してくる、きざで適当で、特になんも考えずに返答する彼が私の都合に十分なのだ。そんな俺もだよのセリフにいや、本当に月が綺麗なだけ。と、まんまるの欠けているところが何一つない月を見て言える私もきっと彼には都合がいいのだ。

と、こんな文を書いているときに平井大が流れて私はやっぱりまだ、少しロマンチックで、運命的な出会いを探しているのだから、かわいいものだ。
私は私に酔っているわけではない。ただ、今のこの出会うには少しだけ面倒で億劫な私に合わない時代に生まれてしまったのが、恋人ごっこでいいのかもと思った理由だ。
恋人ごっこって都合いいよね、友達以上恋人未満だからこそ、束縛は絶対にないし、なんなら明日一目惚れしてもいいんだもん。



こんな毎日を思いながら私は今日も恋人ごっこをする。
マカロニえんぴつの“恋人ごっこ”は恋人になりたい人が恋人ごっこをしている歌だが、私は恋人ごっこが好きだし、恋人にはなりたくない。
まだ、全然恋をする気になれない。

ナナ


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