他己分析を頼まれて

少し前まで、就活をしている友人たちからLINEなどで他己分析の協力をお願いされることが多かった。
それほど親しくなかったと感じていた人からも、そういったお願いをされることがあった。
キャリアデザイン系の授業の課題だったり、マイナビのアンケートだったり、その聞かれ方は様々。

私はいつも、なかなかそれに応えられなかった。

少しでも助けになりたいと思っていても
むしろ思っているからこそ、その「他己分析」というものの見た目の軽さに反する重さに耐えられなくなってしまう。

今まで友人と関係を築いてきて、私は彼ら彼女らを「人材としての市場価値」や「利害」の点から「評価」したことなんてない。たぶん。
だけど、その「分析」で求められているのはそういう事だ。そのためのデータだ。



友人が、他の友人に対して他己分析するのを聞いたときに感じる違和感。

それに対して、「客観的」な視点が得られたと感謝して見せる友人に感じる違和感。

それは何に対する違和感なんだろうか。




「私ってどんな人間?」という問いに対する答えは、その問いが出来している状況によって変わってくる。

鬱になった友人からの問い。
恋愛で悩んでいる友人からの問い。
就活をしている友人からの問い。

たとえこれがみんな1人の友人から発せられたものでも、私は当然それぞれに違う答えを用意する。

そしてその答えは、友人がそうなりたいと思う理想像を「評価する存在」を予め自分の中に想定して答えているのだと思う。
上の例ならすると

自己肯定感がほしい友人自身
友人が愛されたいと思う恋人
友人を必要としてくれる社会・会社・面接官

を意識的にも無意識的にも自分の中に想定して、その意見と同一化して答えようとする。

たとえ、ただ今までに感じていた友人の印象から答えようとしていたとしても、それは絶対に中立なものではないはずだ。

私が怖いと思うのが、そんなふうに一般化されて想定される存在が1人歩きをして、暴走して、友人をズタズタにしていくことだ。

実際はそんな評価を下す存在などいないかもしれないし、友人のそんな側面は取るに足らないものかもしれない。
だけど、私(や友人)の中の「会社や社会や面接官」が眉を顰めたら、私はそれを短所としてやや誇張して「指摘」してしまうんじゃないか。
あるいは「彼ら」が口角をあげれば、友人の本当の性格をカッコに入れて、ある側面を長所として押し付けてしまうかもしれない。
私だけでなく、そういうことが多数の人にされ続けたら、一体どうなってしまうのかと想像すると、こわい。
他者の意見を統計的に見て、より多く言及されている側面だけを「効率よく」抽出していくのだとしても、やっぱりその事で摩耗して疲弊していくものがあると思う。

そういう意見を「客観的な」ものとして受け入れなければならないと、半ば強迫的に思っている不器用な友人を見ていると、つらい。

もちろん、他人からの指摘を真面目に受け取って自分を省みるのは必要なことだ。
就活の上で自分の市場価値を考えざるを得ないのも理解しているつもり。
だけど、就活における他己(自己)分析や面接で下される「評価」は、やっぱり少し異常だと感じてしまう。

私の考えが甘っちょろいのかもしれない。
けど、友人のためだからと言ってキツいことをオブラートに包まないで伝える人を見ると
私はむしろその問いに対して沈黙を守ることによって、その友人を諸々の「評価(ポジティブなものでもネガティブなものでも)」から少しでも距離を置かせたいと、思ってしまう。

その無数の「評価」によって
疲れて、気力を失って、動けなくなってしまう前に



毎日noteが毎日でなくなってしまいました。
こらからは無理せずに、週や月に数回のペースにしようかと思っています。

最後まで読んでくれてありがとう。