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他己分析を頼まれて

少し前まで、就活をしている友人たちからLINEなどで他己分析の協力をお願いされることが多かった。 それほど親しくなかったと感じていた人からも、そういったお願いをされることがあった。 キャリアデザイン系の授業の課題だったり、マイナビのアンケートだったり、その聞かれ方は様々。 私はいつも、なかなかそれに応えられなかった。 少しでも助けになりたいと思っていても むしろ思っているからこそ、その「他己分析」というものの見た目の軽さに反する重さに耐えられなくなってしまう。 今ま

    • 「世界が土曜の夜の夢なら」

      今日のタイトルは 斎藤環という批評活動も行なっている精神科の先生の書籍のタイトルです。 『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』 精神分析の観点から、日本の「ヤンキー文化」について分析した本です。 (読んだことありませんが題名が好きなのでお借りしました・・・) 斎藤環先生の本は『生き延びるためのラカン』と『承認をめぐる病』などを読んだことがあり、難しい内容をライトな語り口で分かりやすく説明してくれる方という印象です。 興味のある方は是非 今回は別に書評をしたい訳

      • わたしもあなたも狂ってる

        小説『ベロニカは死ぬことにした』のワンシーンから 睡眠薬で自殺を図って失敗し、精神病院へ入れられたベロニカはその中でゼドカという患者と“狂気”についての会話を交わす。 「どうしてか説明できないわ。ただ知ってるだけよ。わたしが一番最初に聞いた質問を覚えてる?」 「ええ、狂ってるってことがどういうことか分かるかって」 「そうよ。今度は、もう物語ではぐらかさないわ。狂気とはね、自分の考えを伝える力がないことよ。まるで外国にいて、周りで起こってることは全て見えるし、理解もでき

        • こころ

          「心理学がすきなの」 と言われると、警戒してしまう 心理学という学問が嫌いなわけじゃない 決してそうじゃない ただ、どうして「心理学」がすきと言って 読む本を聞くと大抵「人を操る〜」系なんだろう 人の行動や発言を一義的に1つの意味に解釈してしまうイメージがどうしても拭えない そして、そうすることによって全能感がほしいのかなと思っちゃうよ 「女性脳は〜、男性脳は〜」 「女性は感情的、男性は理性的」とかも 正直、うんざりする いわゆる脳科学系の本も好きじゃないものが

          『火口のふたり』脆い「日常」をつくる意味

          少し前に友人と2人で、『火口のふたり』という映画を観てきた。白石一文の同名の小説を原作とする映画。原作はまだ未読です。 濡れ場がとってもとってもとっても多かった いや、まぁ、それはいいや 簡単に内容を書いておきますね。 3.11の震災の影響で仕事を失い離婚もしていた賢治は、元恋人の直子の結婚式に出席するために地元に帰ってくる。 直子の婚約者が仕事で帰ってくるまでの5日間、2人は昔のようにお互いを激しく求め合うようになる。 その期間が終わって、2人は「現実」に戻って

          『火口のふたり』脆い「日常」をつくる意味

          人間宣言したい

          バイト先でレジをやっていると 私だって人間だ と言いたくなる時がある。 トレーにお金を投げて置くお客さん イヤホンを両耳つけたままでこちらの問いかけを無視するお客さん もう一度問いかけたらキレるお客さん なぜかはじめからけんか腰のお客さん この方に、私は人間として写っていないのだなと、思ってしまう。 お客様は神様だとかいうけれど 逆に店員の方を 何しても怒らない 笑顔で対応してくれる 神様みたいな存在と思っているんじゃないか。 そんなふうに感じる。 だけど私も、人を人

          人間宣言したい

          それを語っている「私」って

          文学部にいると、当然、文学作品について幾つもレポートを書くことになる。 テクスト(小説)の外から歴史やら他のテクストやらを引っ張ってきて比較検討していくという書き方をする人もいるけど 私は基本的に、テクストの内部にとどまってその中であれこれと分析することが多い。 その時によく論点になるのが「語り手」について。 特に一人称小説の場合、小説の中で語り手の「私」が何を語っているのか、語っていないのかに注目しなければいけない。 視点が「私」ひとりに限られていて、また物語の中の回

          それを語っている「私」って

          自分は光をにぎつてゐる

          自分は光をにぎつてゐる いまもいまとてにぎつてゐる 而もをりをりは考へる 此の掌(てのひら)をあけてみたら からつぽではあるまいか からつぽであつたらどうしよう けれど自分はにぎつてゐる いよいよしつかり握るのだ あんな烈しい暴風(あらし)の中で 摑んだひかりだ はなすものか どんなことがあつても おゝ石になれ、拳 此の生きのくるしみ くるしければくるしいほど 自分は光をにぎりしめる 山村暮鳥『自分は光をにぎつてゐる』 例えそれが幻でも 開いたら消え

          自分は光をにぎつてゐる

          物語られるのがすき

          物語(小説や映画)それ自体を読んだり観たりするのはもちろん好きなんだけど、 ほんとうは、その物語について誰かが語ってるのを読んだり聞いたりする方が好きだったりする。 私が気づかなかった喜びとか哀しみとか矛盾とか、そういったものを「客観的に」じゃなくて まるで「自分のこと」を話しているかのような そんなのを聞くのが、読むのがすき。 おじいちゃんやおばあちゃんの思い出話や民話を聞いているあの感じだ。 誰かが朗読するのを聞いてるだけでも良かったりする。 どうしてだろうと、

          物語られるのがすき

          自分の巧妙さ

          突き詰めてみれば、 全部ぜーんぶ、自分を守るためだったりする そう思えてくる 自分の行動、考え、結論が 自分を偽るため 見たくないものに目を伏せるため ダメな自分に目をつぶるため 無意識にどこまでも 自分の中にある矛盾を覆い隠す巧妙さ それが嫌になる 何も確信が持てない 自分の考えや意見に、自信が持てない 散歩でもして気分変えたいけど 雪降ってるし・・・ コロナこわいし・・・ ああ もっと明るいnoteを書けるようにしなくちゃね

          自分の巧妙さ

          「人それぞれだよね」って言わない

          「人それぞれだよね」って言わないでほしい この言葉が放たれる場面って 異なる意見が出てきた時に、衝突を避けようとするときが多い気がする 要するに、 「分かったから黙っとけ」 って ただ多様な意見があるのと、 それらが表に出てきて化学反応を互いに起こすことができるのとでは、全く次元の違うことだ どれだけ伝えたいことがあっても、 「うん、人それぞれだよね」 と言われてしまえば、無視されたも同然だ それは「多様性」とは言わないよ その言葉を、自分が本当は認めたくない意見を

          「人それぞれだよね」って言わない

          「日常」

          猫が裏道に入っていくのを見かけると、物語がはじまりそうでワクワクしますよね。 裏道を覗くと、意味ありげにこちらを振り向くにゃんこ。ついて来いって言ってるんだね!(そんなわけない) そういうわけで(どういうわけ)、久しぶりに『耳をすませば』を観た。大学なくて暇なので。 (今日の金ローも確かジブリだったね) いいですね。はい。なんというか、そこはかとなくいいです。 ジブリ作品がすきなのは、きっもそこに「日常」が描かれているから。 刺激的なアクション映画やファンタジー

          「日常」

          好きな本がなかなか読めない

          本屋をぶらぶらしているのがすき とくに買いたい本を決めないで気になったのを手に取ってパラパラ そうしてると、時々ビビッ!とくる出会いがある 装丁、タイトル、フォント 全部がどタイプ わたし、この本、絶対好きだ 手に取って裏の概要を読んでみる あーーーーーすき! でもその瞬間から、私とその本との微妙な関係がはじまる 読む前にもうすでに私の中でキラッキラの読書体験がにょきにょきと結晶化している 読んだら、きっとそれは壊れると思う それをはるかに超える素敵な体験が待って

          好きな本がなかなか読めない

          「日に1度でいいから、自分が美しいと思うものを10秒見つめなさい」

          タイトルは、私が大学受験のために塾に通っていたとき、そこの年配の英語の先生が仰っていたこと。 もともとは、その先生が学生時代に慕っていた近所の哲学の先生(おそらく引退した大学教授)が、まだ若い先生に仰った言葉らしい。 東京の大学に進み、長期休暇で地元に帰ってきた先生は久しぶりに教授のもとに行き、大学であった辛かったことを朝まで聞いてもらっていた。 ずっと静かに聞いていた教授。 けれど、突然涙をこらえて震える声で怒鳴った。 「さっきから聞いていればなんだ! 君はずっと自分

          「日に1度でいいから、自分が美しいと思うものを10秒見つめなさい」

          思い出

          母が、少し前に亡くなった彼女の友人の話をしていた。その思い出は愛情深い言葉によって美しく飾られている。そんな時に私はどうしても「語る」ということについて考えてしまう。 母は友人の思い出を自分の言葉で語る。そのたくさんの言葉から得られる上澄み液のような「意味や価値」を、どうにかして掴もうとしているようだった。わたしもそれが欲しいと思った。 その言葉が忠実に過去を語ることなんてできなくても、 その語りがどれだけ本当の友人の生とかけ離れてしまったとしても、それをやめずにはいられ

          思い出

          『マイ・ブロークン・マリコ』

          最近読んだ漫画の中で最も心に残っている作品『マイ・ブロークン・マリコ』 幼いときから父親に性的な暴力を受けていたマリコが亡くなったことをニュースで知った友人シイノは、マリコの骨を父親から奪い、最後の2人旅に出ることを決意します。 遺骨と旅をしていく中で、マリコとシイノの過去が断片的に回想されてゆきます。 子どものときのトラウマから破滅的な恋愛や自傷行為を繰り返してしまうマリコを、シイノは彼女と一緒にいるただ1人の友人として支えようとしますが、マリコは自ら命を絶ってしまい

          『マイ・ブロークン・マリコ』