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きっと私は幸せなんだと思う

有名な方の自さつの訃報がまた目にとまった。私がnoteを始めたのは、7月に知った俳優さんの訃報が、どうしようもなく悲しく苦しくて、同じ思いの人がいるんじゃないかと思ったから。​

今日はTwitterをスクロールしていて知ってしまった。電車の中で涙が出た。立ち寄った喫茶店で泣いた。

昔から好きな女優さんで、大好きなドラマの主演をされてて、あんな格好いい女の人になりたいなんて、メモに書き留めて。夜寝る前にそれを読んだりして。もう、彼女の新しい活躍をみることはできない。過去の映像でしか、会えない。

どうして亡くなったのか、何で自ら命を絶つ必要があるのか。そんなことを根掘り葉掘り報じるネットやテレビから距離を置こう。そう思ったし、そうnoteに書いた。本人しか絶対に分からないのだから、どんなに辛かったかなんて他人には絶対に分かるはずもないのだから。偉そうに書いたけれど、スマホやパソコンを開けば出てくるニュース記事をクリックしていた。その度に、興味本位にしか思えない記事と、情報から離れようと言いつつ離れられない自分に嫌気がさした。

私たちはテレビの中のキラキラした一面しか知らない。その人の人生のほんの一瞬の姿しか知らない。そう分かっているのに、なんで、こんな私が生きていて、あんなに素敵で、すべてを手に入れているように見える人が死んじゃうんだって、考え続けている。分かるわけないのに。美しさも名声もお金も、何一つとして人を幸せになんて、できないんじゃん。私は何一つとしてもっていないのに、何度も死んだほうが絶対楽だと言い聞かせては、思いとどまって生きている。

生きるのには、崇高な理由が必要なんだと思っていた。生きているからには、目に見える幸せを、誰もが分かる幸せを、手に入れなければならないのだと、思っていた。だから苦しかった。

たぶん、生きる意味なんて、もっと簡単でいい。明日、友人と会う予定があるからとか、行ってみたいお店があるからとか、おいしいご飯が食べたいから、とか。そして、日々ごちゃごちゃ悩んで苦しんでいても、今日を生きれた、それ自体が「幸せ」なんだと思う。美しくないし、お金もないし、普通のOLだし、何も持ってないけど、今日生きれた。だから幸せ。明日は嫌な奴に嫌なことを言われるかもしれない、ご飯がおいしくないかもしれない、またお金がないって悩むかもしれない。でも明日も一日生きれたら、それで「幸せ」。

もう、そう思うことにした。

たぶん明日もまた、死にたいとか思いながら、生きて、幸せなんだと思う。


どうか、浄土の世界で、温かい気持ちで楽な気持ちでいてください。ご冥福をお祈りします。また新しいドラマを観て、あなたに憧れたかった。


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