先生になって3年半、教室にいけなくなった
今は大学事務をしている私ですが、2年前までは小学校の教員として教壇に立っていました。
え、元教師にしては文章…あれ?と思われてもおかしくないですよね恥ずかしい💦
noteは感じた気持ちをこねくり回さずに書きたいと思ったので、体裁は整ってないです…。
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学校現場から離れてしまってから2年。
当時を振り返って、今の気持ちを残しておこうと思う。
大学を卒業して小学校教員になり3年目の冬、私は教室へ行けなくなった。
職場の人と折り合いが悪かったわけでもなく、取り返しのつかない学級崩壊が起きたわけでもなく、保護者とのトラブルがあったわけでもなかった。
ただただ、私のキャパが小さかったのだと思う。
私が苦しかったのは、約30名ほどの子どもたちの大切な「今」を扱う責任の重さだった。
給食のおかわりのルールをどうするか。
いざこざが起きた時、どのタイミングで大人が口をはさむのか。
どのように話し合いをさせるのか。
授業中の子どもの困った状況に、諭すのか、叱るのか、はたまた時間をおいて指導するのか。
日々の小さな判断一つ一つが、クラスの関係性を作り上げ、子どもの見本となるべきものとなる。
間違えれば、信頼関係は崩れてしまう。
私は、子どもを導くための自分の軸をもっていなかった。
もともと、「人を傷つけたり命にかかわること以外は正しいことなんてないのでないか」という考えの私だから、”私の軸”はあったとしても”子どもに示せる軸”がなかったのだ。
ただ、子どもを導くべき立場にある担任教師は、それではいけない。
自分の中に信じる何かがなければ、迷い、その迷いは子どもに伝わり、子どもは安心できない。
せめて誠意をもって、と自信がないなりに子どもに向き合ってきたつもりだった。
でも、「この先生は話を聞いてくれる」先生ではいれたと思うけれど、「この先生なら安心」な存在になれなかった。
子どもの前では自信がなくても「先生」でいないといけなくて
本を読んだり先輩方にアドバイスをいただいたり経験を積んで成長するしかないとわかっていたけれど、目の前の子どもたちは「今」が一番大切なわけで。
「先生」のふりをしながら、毎日「こんな先生でごめんね」と思っていた。
毎日おなかを下しながら日の出とともに出勤し、迷いながら子どもを指導する。
子どもが荒れてしまうのは、きっと担任である私の責任で。
クラスでけんかをして罵倒しあう子どもたちの言葉を聞いて、勝手に私に向けられた言葉のような気がして、心が暗く悲しくなってしまっていった。
温かい時間も確かにあった。
花をくれた子どもたち、理科で新しいことを発見してキラキラしている子どもたちの顔。
でも、だんだんと耐えられなくなってしまった。
2年目まで体調不良で休んだことなんて1回あったかどうかであったのに、最後の1カ月の間に3回発熱で休んだ。
始めて教室に行けなかった日の朝は、なんだか動悸がするな、くらいだった。それ以外はいつもと特に変わらない。
栄養ドリンクを飲んで、朝焼けを見ながら出勤。
朝の職員室で、学年の先生と学期末の漢字テストの話をしていたとき、なんの悲しい気持ちもないのに涙がでてきてとまらなくなった。
話していた一個下の後輩がびっくりして背を撫でてくれたことを覚えている。
なんて情けない先輩だっただろう。
泣き止もうとしてもとめられず、別室へ移動した、
学年の先生方が一緒にいてくださって、話を聞いてくださったけども
私の中で涙が出る直接的な原因が分からなくてどうしようもなく、大人げなくずっと泣いていた。
申し訳なかった。
朝の時間は子どもたちの宿題を見たり、子どもたちとコミュニケーションをとったり、ゆっくりしたり、先生ごとにそれぞれ過ごし方がある。
学年の先生方の心配してくださっている温かいまなざしも、声をかけてくれる校長先生も。
1分1分が大切な時間を私のために使わせて…。
別室に一人のこり、2時間ほどたったころ、涙が止まった。
子どもたちのいる教室へ行けなかった。
一日休んで、また頑張ろうと思って家に帰ったけれど
結局次の日も職員室で涙が出てしまって、いけなかった。
そのまま、休職してしまった。
私の小学校教員生活は、こうして終わった。
約30人のクラスの子どもたちへの責任を放棄してしまった。
優しい言葉をかけてくださった保護者の方の恩を仇で返してしまった。
先生方に、負担をかけてしまった。
たくさんの、ごめんなさいがある。
後悔もたくさんある。
私は、それらをちゃんと抱えて、生きていかなきゃいけないのだと思う。
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