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視線恐怖症コラム
悪化に悪化を続け、耐えても耐えても報われない…
私は対人緊張でガチガチの中学、高校時代を送らざるを得ませんでした。
なんと言っても一番つらかったことが、視線恐怖症、特に脇見恐怖症。
視野が広くなって、視界に入るものにひっぱられてしまい、しかも外すことができません。
もう落ち着かなくてしょうがなかったです。
きつい、落ち着かない、イライラする、発狂しそう、引っぱられる、もういやだーーー!!!
正視恐怖症もあって、人の眼をまともに見ることができないし、人と話すことすらはばかっていました。
コミュニケーションもまともに取れません。
だから親切に話しかけられても困るだけ。ありがたいんだけど、迷惑っていうか。
それが人との壁を更に高くしてしまい、悪循環でした。
人を避けることだけが私の唯一の自衛策でした。
視線恐怖症・正視恐怖症ってことは、会食恐怖症でもありました。
人の目を見られないで、人とものを食べるってことは苦痛です。
その空気も大嫌いで苦手でした。
会食恐怖症だから、おいしいはずの食事も食道でひっかかるような無理に飲み込んでしまうようなちぐはぐした感じでした。
それもこれも緊張ゆえだと思います。
そんなこんなでいろんな対人恐怖が私に襲いかかっていました。
もとはといえば、対人的な過度の緊張と不安感が根っこにあります。
悪化する時は本当に早いものですね。悪循環を断ち切るまで私は症状の悪化や転移に怯えて生きていました。
他にも過敏性腸症候群というおなら恐怖症、ガス恐怖症といったものもありました(自臭症・自己臭恐怖症)。
自己視線恐怖症と同じく、私がいるだけで周囲の人に迷惑を与えているのではないかという怯えが強かったです。
おなら恐怖、ガス恐怖症は、特に恥ずかしいことですので、その場にいることができないくらい居たたまれなかったです。
おなら恐怖症、ガス恐怖症も対人緊張から来ていました。
腹鳴恐怖症もありました。これは対人恐怖症、社会不安障害の人がなる神経症で、過敏性腸症候群の人ならなおさら患いやすいそうです。
そして笑ってはいけない状況下ほど笑ってしまいそうになる、吹き出してしまう失笑恐怖症の経験もあります。
気になる時と気にならない時があったけれど、ものを持つ時、人にものを渡す時、軽いものの時なんかはとくに手の震えが苦痛でした。
緊張が過度に過ぎると、あらゆる方向に悪化していまいますね……
姿勢も悪くなるし、視野もぼんやりとしてしまうし、頭は重くなるし、楽しいと感じられなくなるし。
あがいてもがいてもずるずる地滑りを起こし続けたのが私の症状です。
誰にも相談できない
14歳(中学生) 一番多感な頃に私の視線恐怖は始まりました。
それまでも人と仲良くやらなくちゃ、嫌われないようにきちんとしなくちゃと、自分を抑えて生きていましたが、とても楽しい思い出もたくさんありました。
それが息を吸うだけで苦しいぐらいの地獄を味わうことになるなんて思いもしなかったです。
発症の初期段階で、後に私が信頼し、神経症の地獄から救い出してくれた先生のような頼れる人が近くにいたら、それ以上悩まずに立ち直っていたかもしれません。
(この先生については後の詳述します)
メンタルヘルスな悩みは頼りにできる人が近くにいれば、それだけどん底に陥らずに立ち直れるものです。
もっと早くどん底になる前に出会いたかったです。
もし現在、神経症的症状の初期段階にある人なら、この症状について詳しい心理カウンセラーに相談して下さい。
恥ずかしいとか思わないで。
あなたには味方が必要です。
孤立無援の状態でいると、時間と共に悪化し自分で自分の首を絞める事になってしまいます。
私は発症してからすぐに頼りがいのある人に相談できたら、絶対悪化していなかった自信があります。
でも、ほとんどの人と同じように自分一人孤独で、どうしようもないところまで追いつめてしまいました。
症状が消えて欲しい、無くなって欲しい、根性で何とかしようとか考え方を変えようとか思ったけれど、出口が見えたことすらありませんでした。
抑うつ状態が慢性化していて、楽しい感情も忘れ去りました。
何もかも楽しめなくなっていく自分。
見えている風景は深く重たく沈んだ暗黒の場面だけ。
まったく笑えないし、人の笑い声が気になるし。
耐え続けても何の見返りもない。
私は心に深い傷痕を思春期で作ってしまいました。
毎日がトラウマを作っていたようなものです。
学校に行くだけでストレスになり、傷つき、死にたくなる。
クラスの中で私だけがこんな悩みで苦しんでいました。
誰一人として全く無縁でしたし、それだけ惨めでした。
私だけが何でこうなってしまうの? 神様はいるの?
不幸な生き方をしなければいけない人間に私は選ばれてしまったとでも言うの?
五体満足なのに、これがあるばっかりにすべてが暗黒でした。
これさえなければ他はすべてうまくいっているし、満足なのに!
これさえなければ! これが当時の口癖でした。
人は人、自分は自分だってわかっているけれど、視線が引っ張られるどうしようもない自分…。
自意識が芽生える時期は魔の時間ですね。
ボロボロになってしまいました。
良くなるきっかけも見いだせなかったし苦しかったです。
涙、涙の毎日でした。
しまいには疲れ果てて、涙も枯れて…うつ状態で打ちのめされて生きざるを得なくなり…