Twitterで癒やされるとは思わなかった……

Twitterは基本的に忌避する状況だった。どうもクセのある人達をフォローするので体調不良時に見るものではなくなっていた。クセと言っても色々だろうが、内輪で楽しくやってればいいや、という使い方がどうにもできない。自分も意見があると本当に黙れないたちなのだが、具合が悪くなってからは打たれ弱くなっているというのに体調不良でエネルギーがなく、コントロールがきかずにキレてしまうなどあり、悪意でしかお話ができない人達からいきなりな返信を受けたりしている。そういう相手でなくたって会話というのは大変エネルギーが要る。Twitterはかなり反射的に反応しやすい仕組みでもあるので、疲れることこの上ない。怒りを発散できもするが、そういう使い方をするのは本当は違うだろう。ソーシャルメディアは日本語で言えば社交の場なのだ。

で。

徐々に書こうと思うが、また、記憶に障害が出ているので前にも結構書いたかも知れないが、この8か月ほどは本当にきつかった。Twitterではない。mastodonというSNSで、私は日常生活が立ち行かない状態にあることを話し助けを求めた。

精神障害と発達障害とPTSDと、まあいくらでも病名なりつく状態で公的支援をいくつも利用しているが全くうまくいかなくて危険な状態である。

ネットで知ったばかりの人達がとにかく助けようと応じてくれたはくれたが、皆で認識が甘すぎた。私自身もであるが、主治医も公的支援関係者もだし、有志の人達の限界点が驚愕するほど低かった。逆に言えばそれ程私の状況や状態が酷いのだとも言える。やってみて初めてわかった事だらけで、先日から私は体調が限界で、トラウマ性のストレスにやられまくっている。起き上がっていられないしひどく眠い。疲れ過ぎである。

私は我慢し過ぎた。無理し過ぎた。もう後がないと切迫しやすいのは実際悠長な状況ではないからだし、グループの人達の悠長さがあまりに酷いから、とは言える。が、何も彼らに固執する必要はなかったのだ。もっと言えば、私は自力でどうにかしないといけない意識が強すぎたし、助けてもらう立場であることを気にし過ぎていた。親には脅されて育ったし、人から親切を受けた経験がなさ過ぎるから、人間が恐ろしいのだ。自己評価なんかマトモな訳もない。

本当に懲りた。頑張る所が違う。というか、積極的にムダな努力をし続けていた。機嫌を取らねば助けようと思わないような人が私に必要な支援を理解したり実行するだろうか。それでは私が逃げ出して来た親と何も違わない。私が努力するとしたら今のところ100%自分のためでなければならない。礼だの気遣いだのを先払いするのが当然だというのは日本にかなり特有の事情であると思う。そんな事してるうちに死ぬというのに。

私は外国に行ったことはないが、私の状況を外国人の友達に話したら驚愕されたことがある。日本では「そんなのしょうがないだろう」が通常の反応だし、こちらが不満を覚える事でさえも傲慢だの横柄だの恥知らずだの言う。私達障害者から見れば、支援や特別の配慮がとりあえず不要な人達の甘ったれっぷりこそ信じられない思いなのだが、それは恐らく経験しない限り想像してやる気もないというのが本音であろう。迷惑だから早く死ね、ということさえ言われているし、実質上それと同義の事なら日常生活でいつも言われるしされている。何故それがおかしいことだかどう言っても何をしても理解できないか信じない(被害妄想に決まっているという。実際の支援を知らないのに何故そう言えるのか)か、まあ一番は「耐えるしかない」というメッセージで埋め尽くされている。これで病気だの状況だのが良くならないのは怠慢や依存だと言われてもなあ。——こういう話を具体的な支援についても触れながら下手くそな英語で説明したら「何故逃げないのか?」とは大勢に言われた。「自分がとりあえず面倒見るから亡命しろ」とも言われた。

そういう、「まず自分が助かる、まず自分のことをのみ考え行動する」事にエネルギーを使うべきなのだ。口ばかり非難ばかりの人達からまず自分を守るべきであった。善意があると言われても困りごとはほとんど手付かずな事に変わりない。助けたいだの好きだの友達だのいくら言われても「だから気遣いをしろ感謝しろこっちだって進まなくても一生懸命なのだ」と言われては参る。どうしたら危機感がなさすぎだと気づくかとか動いてくれるかとか、そんなのにエネルギーを費やしていたことが今はつくづくばからしい。

昨日辺りから彼らの見えるところに書き込んだり、チャットで会話しようとするとメチャクチャに具合悪くなるようになった。吐気や震えが起きもする。こんな状態になるまで何をしていたのか……。

もう良い子などできない。無理なものは無理だからしない。やりたくないことも毒なので極力人に振る。そして、自分は何を楽しく感じるのかなど、後ろめたさを振り切ってゼロから探れる状況を作る。

そもそもここで後ろめたさを覚える事がおかしいのだが、助けてもらう人間が楽しく暮らしていたら猛烈に怒られるのである……。ありえないほど切り詰めるための努力をしても当然だとかそういうのが得意なのだとかいきなり自己責任にされるが、病気と戦い差別と戦い自分の状況をどうにかできないか死ぬ気で試行錯誤しながら無理な節約とか、何をしろというのか。まあ、世間一般の認識から行くと死んでくれという話にしか帰結できないのだが。

あー、もう疲れたからTwitterの話どうでも良くなった。たのしかったよ、っていう事なのだが、わざわざ記事を起こしたくなる事件なのだ、そういう事が。私にはそうである。コレはもう変えていきたいので、休む。難しいが休む。

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