死ねないから生きてるの2

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だいすきなおじいちゃん

私には大好きな大好きな祖父がいました。
おもしろくて、やさしくて、
植物や生物についてたくさん教えてくれた祖父です。
そんな祖父は癌を患っていました。
小学校四年生の私は
「難しい病気だけどきっと神様が治してくれる」
と思い、毎日毎日神様にお願いをしていました。
だけど、神様は祖父を治してはくれませんでした。
私が小学校五年生になった頃には悪化し、寝たきりになり、
夏の満月の夜、私の大好きな祖父は天国へいきました。
「あぁ、神様ってなにもしてくれないんだね」
「私がいいこにできていなかったのかな」
そうやって神様と自分を責めました。

起立性調節障害

祖父が亡くなったのと同時期に、私の身体にある症状が現れます。
立ち上がるとひどいめまいに襲われてしまうのです。
長時間経っている時も同じ症状が出ました。
母親に伝えて病院へ行くと
起立性調節障害*
という診断を受けました。
よくする為の薬を飲み始めましたが、あまり症状は変わらず。
ですがこの時はまだ、そこまで大きな影響はなかったと感じます。

*起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調です。自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。

社会福祉法人 済生会

はじまり

小学生のうちは、結局起立性調節障害と疲れやすいことくらいしか症状はありませんでした。

そんな私は中学校へ入学します。
平和でストレスフリーだった幸せな日々は終わります。
さあ、悪夢の始まりです。

中学校一年生、秋。
陸上競技のイベントが学校で行われました。
体育祭のようなものでしょうか。全員参加イベントです。
私はそのイベントの走り高跳びの部門でした。
いやいや参加していました。
私の番が来て、助走をつけて飛んだ時
とてつもない痛みが私の左肩を襲いました。
痛すぎて動けず、その場でうずくまりました。
しかし、次の生徒が待っており、先生に「早くどけ」
と言われ、泣きながら列に戻りました。

飛ぶ回数は一度ではなく、何度か飛ぶことになっていたため、
痛む肩を落ち着かせ、もう一度飛びました。
するとまた同じ激痛が襲い、私は無理だと思い保健室へ向かいました。

保健室へ行くと定年間近の保健の先生がいました。
私はこの日まであまり保健室を利用したことがありませんでした。
はじめまして。なんて話をしながら、泣いている私を落ち着かせてくれたのを覚えています。
「脱臼したのかもしれないね、今は脱臼していないけれど…親御さんに迎えに来てもらって、病院へ行きなさい。」
と、保健室の先生は応急処置で湿布を貼ってくれました。

少し経って、母親が迎えに来てくれました。
その日は学校の近くの病院へ行き、
検査、診察を受けましたが「特に異常なし」と言われました。
「こんなに痛いのに異常ないことがあるか」と思いましたが…
痛めたばかりだから数日痛いだけだと、
そう言い聞かせて帰りました。
数日。数日我慢すれば良くなるんだと、そう思っていました。

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