ドンドンドン♪
驚安の殿堂ドン・○ホーテが近所にあるので年に数回コスパ最強のティッシュを買いにいく。
2階にある家電フロアの【令和最新版】と値札に書いてありそうな家電。
海外の毒々しい色のお菓子が並ぶ店内。
キティサン+スウェット+金髪の人が大量発生する店内。
暇つぶしにはちょうどいいかも。
実はそんなドン・キ○ーテがちょっと苦手。
なぜかというと店内の情報量があまりにも多すぎるから。
店内に入ると爆音BGMとド派手なポップ、高く積まれた商品。
入り口の時点で情報過多でパニックになりかける。
小学生の頃はド○キに行くだけでもワクワクしていたような。
年々情報の許容量が減ってきている気がする。
これは果たしていいことなのか悪いことなのか。
いつからこんな風になってしまったのだろうか。
高校生の時、TikTokが流行り始めた。周りを見ればみんなTikTokを見ていた。
一度何を血迷ったか自分もインストールしてみたことがある。
だが1時間も経たずに消してしまった。なぜ消したのかはっきりとは覚えていないが、何かヤバいと感じたからだったはず。
画面をスワイプするだけで際限なく表示される数十秒の動画に対し、恐怖を覚えたのかもしれない。
短い時間で面白さを得られるshort動画は、身近でお金をかけずに手に入れられる麻薬といっても過言ではないように感じる。
そんなこんなでTikTokを避けていたら流行りにおいていかれるようになった。
自分の興味のない新しいものに対し、小さな嫌悪感を抱くようになっている気がする。
心のどこかで流行りというものを蔑んでいると思う。
結局流行りというものは、そのものの本質的な部分はどうでもよく、話題性だけだろうと思ってしまう。
話をドン〇に戻すが、〇ンキは流行りに非常に敏感でどんどん商品が新しいものに変わっていく。
行くたびに店内の情報が更新され、流行りに疎い自分は店内で孤立している。
そんなところからドンキに苦手意識を持ち始めたのだろう。
新しいものを意味もなく嫌うおじさんにはなりたくないと思う自分
vs
新しいものを取り入れ続けると疲弊してしまう自分
目まぐるしく状況が変化し、次々と新しいものが出てくる社会においていかれないように必死に食らいつくのが精いっぱいな今日この頃。
悉く自分は都会に向いていないと感じる。
新しいものを無意識に避けるのはしょうがないが、新しいからという理由で何も知らずに偏見を持ち、非難するようなおじさんにはならないようにしなければならない。(戒め)
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