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水槽の脳🧠

水槽の脳とは。
もし今を生きる我々が実在しているこの肉体ではなく、コンピューターにつながれ水槽に浮かぶただの脳だとしたら。

水槽の脳とは

水槽の脳とは、「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだが見ているなのではないか」という仮説哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、デカルトのグローバル懐疑論(悪しき霊、欺く神)の現代版である。 Wikipedia参照
この考えと似たもので、中国には思想家の荘子が胡蝶の夢というものがある。

言ってみれば、この世界は現実ではなく外側には本当の世界があるのではないかという説である。
誰もが一度は考えたことがあるような空想話を掘り下げていこうと思う。


内容

今私たちが感じている味覚や聴覚、感情はコンピューターからつながれた脳に送られてくるただの電気信号だとしてもおかしくないよね?という話。
普通に考えれば有り得ないと思うような話だが、完全に否定できないのがこの考えの怖いところ。私たちが普段感じているものは、脳で受け取っているはずなのだから。

だがしかし、もし水槽に浮かぶ私たちの脳が
あれ?これもしかして自分水槽に浮かんだ脳なんじゃない?
と気づいたとしてそれもまた、コンピューターからそういう風に思えと送られてきた信号なんだとしたら。


矛盾

終わりがないようなこの話にも矛盾がある。
それは、
感情や感覚というものは脳が生み出すものである。ということと
脳という概念は脳について研究し、学んだ人間の概念である。ということ。
この二つは矛盾しており、パラドックス的な関係なのである。
水槽に浮かぶ脳を視認している第三者がいては世界が循環してしまい水槽の脳の仮説が成り立たなくなってしまうのだ。

難しいような、ややこしいような


本題

今まで長々と話したのは前置きで、ここからは私の考え。
さっき話していた矛盾は、人間以上の存在四次元的な空間があれば解ける話なのだ。
我々を超越した世界があれば、そういった存在が作り出した仮想現実だとしてもおかしくない。

カントはこれについて、我々は物質の表面は認知していても、知覚外部にある「物自体」は決して認識できないとする。と考えている。
物自体はわかってるつもりでも、それは脳の信号として認知しているのであって、そのものの本質はわかっていないのでは?ということ。

ここでイデア論に絡めてこの問題を考えてみる。
もしこの世界が仮想現実だとして、真の世界とはどういったものなのか。
それこそがイデアなのではないだろうか。
イデアはこちらを認知しているのだろうか。
皆が思う共通の理想の世界(イデア)から我々はイデアに意識が向くようイデアの世界を理想と考えるよう、操作されていたのだとしたら。


終わりに

考えても早々に結論が出る話ではないけれど、プラトンの提唱したイデア論というものが現代までいろんな考えに繋がっているようで面白い。
映画マトリックスも水槽の脳をテーマにした話らしいですね。

ややこしい話が続きましたが最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。


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