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進撃の巨人アニメ版を完走した(ネタバレ注意)


進撃の巨人、連載当時に9巻あたりまで読んだけど先が長そうすぎて、完結したらまたと後回しにしていた。なんとなく今だ、という感じがして、8月に入ってからアニメで1話から観ていてやっと昨晩最終話まで完走しました。胸が熱いうちに所感を書いておく。ネタバレありなのでご注意ください。

現代版「蜘蛛の糸」という見方

アニメ91話、始祖ユミルが操る歴代巨人たちの猛攻を受けて力尽きる寸前の調査兵団たちのシーン。コニーが始祖の骨に立体機動装置を突き刺し、リールでぶらりと吊り下がっている。次のシーンでは同様にジャンが吊り下がり、さらにライナーを掴んでいる。このシーンの見せ方、めちゃくちゃ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」っぽくない????意図的にそう見せようとしてないか??
調べたけど、公式にもそれ以外にもそういう説が見当たらず。なので的外れな見方なのかもしれないけれど、この作品のメッセージを「現代版蜘蛛の糸」という角度から考えてみると、個人的にはちょっと理解できた感じがした。

蜘蛛の糸のあらすじ ダヴィンチWebより

蜘蛛の糸による教訓は「自分がよければそれでいいと他人を蹴落とす考えていると天罰が下りますよ」ということだけど、天罰が下るのが自己中を働いたカンダタ本人だけでなく、救いを求めて縋りついた他の多くの罪人たちも一斉に振り落とされるというところがユニークな所に思う。そもそもみんな罪人でありながら自分だけは救われようとする。そういう人の欲深さや都合のいい態度を描いていることが、進撃の巨人と大きくリンクしている気がしてならない。

作中で、民族間の争いがうんざりするほど繰り返し描かれる。エレンは自由を手に入れるため、マーレはエルディアの罪を裁くため、エルディアはマーレへ報復するため…各々に大義があるし、それを貫くために犠牲もやむなしという美学すら含んで進んでいく。側から見ればそんな自分勝手な都合、ということで他人を踏みつける。自覚的であれ無自覚であれみな罪を背負い、永遠の救済など保証されるはずがないまま生きていく。巨人がいなくなっても争いは終わらない。
フィクションでありながら徹底したリアリズムがそこにあり、この世を描いている。ので、(←やりたかった)こんなにめちゃくちゃ面白い。

というわけで、蜘蛛の糸の現代版、超解釈が「進撃の巨人」だったのだと思っている。11月公開予定の映画版での描写にも注目したい。

父性と自立の物語

もう一つ、エレンが迎えた結末を見て思ったのは「なんでエレンこんなことになっちゃった??」。なんでも生育歴に結びつけてしまうのは良くない癖だと自覚しているけれど、それにしても、どうして。自由への渇望があったにせよ、家族や仲間に恵まれた平凡な子だったではないか。ちょっとやってる事が辛すぎる。大量虐殺に踏み切れてしまう所も、仲間を英雄に仕立て上げるのも、見えてしまった未来へ突き進めてしまうことも、、、

と思ったけど、やはり父がまずかったよな。エレン生誕時の父の言葉「エレン、お前は自由だ」。自由とは自ずから求めていくものだけど、エレンは生まれた時から父の願いである"自由"を背負わされていたんだね。
さらに決定的なのが、父が注射器でエレンに始祖を打ち込んだところ。
ジークのことの反省もあっただろうし、グリシャなりに自分の理想を子どもに背負わせるまいという心掛けはあったのだろう。それでも、エレンが自ら「壁の外を見たいんだ」発言をしてきた日には「!!??きたーー!」ってなっちゃったんだろうなあ、、。

グリシャが始祖を奪うというのは未来のエレンによる介入もあったことなので、グリシャの父としての関わりがどのくらいエレンの行動を左右したかは分からないけれど。それでもやはりエレンは、生まれた時から自由の奴隷だったのだろうと思うし、つらい言葉をつかえば解放を求める人々による必然的な負の産物であったのだと思う。

地鳴らしという破滅的な現実に至るまで、エレン自身も自由の"奴隷"であることに気づけなかったようだし、この束縛から抜け出すのはかなり無理のある事だったのだろう。毒親からの自立とは、本当に難しい。

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