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歴史小説「Two of Us」第2章 J-4

~細川忠興父子とガラシャ珠子夫人の生涯~
第2章 明智玉のお輿入れ~本能寺の変


Vol.4

 昼の刻。外堀を渡った二の丸入口に、細川家家老の松井康之ら一行が、到着した。

 家臣である初老の小笠原佑清(少斎)と、忠興の側近の若い家臣、松井氏が馬3頭に乗り、輿入れの女人用櫓が3台、細川方の侍女である清原イト(後の洗礼名マリア)、御輿を担ぐ白装束12名、輿入れ道具の梱を担ぐ要員3名などなど、総勢20名は下らなかった。

 外堀と中堀の間に在る待機殿にて、明智方の出立組が待っていた。

 天守閣には主君明智十兵衛光秀は不在であり、京の都にほど近い丹波地域にて、最後の豪族赤井氏の黒井城を征するべく、奔走していた。
 明智長女のお岸は荒木村重の嫡男に嫁いでいたが、亡き母煕子の名代で次女珠子の御輿入れの送り出しに出向いて来ていた。
 珠子の妹辰(タツ)も、支度の手伝いを勤しんでいた。後のもう一人明智の血統を残す側室の、実母にあたる妹である。

 銀色の絹糸を織り込んだ白無垢のあなた珠子は、綿帽子は被らず、一段高い上座に鎮座して、待機。
 到着の報を受けると、珠子の妹は珠子に綿帽子を被せ、裾をを添い従うために、持ち上げる位置に着く。

 あなた珠子から向かって左側に、名代の明智左馬之助(後の秀満)、姉のお岸、侍女として永らく仕えていた五十路の清原が座する。
 この清原は、既に周山街道を目指した竹林の峠にて、細川与一郎忠興とは面識がある。細川方からのお迎えの侍女清原イトの生母でもある。

 本来公家の出所であるが、娘のイトは財の豊かな堺の大店へ養女に迎え入れられていた。その縁で細川家の侍女と成ったのだが、本日は久しぶりの母子対面であり、さらに母である明智方の侍女から、娘である細川方の侍女へと、珠子の側用人は交代するのだ。
 母である清原は、その後も三女四女に仕える。珠子が明智姓から細川姓に代わると同時に、若い清原イトは生涯珠子の側を離れずに仕えるのだが、この時点で満15歳の珠子よりも、年上である。
 後年、丹後守護職に就く忠興は、九州に渡るまで長岡姓を名乗るが、ここでは細川姓で統一する。

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